商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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刀 信州住真雄(山浦真雄)(新々刀上々作) Katana [Yamaura Saneo]
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特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
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No. F00673
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白鞘 金着二重鎺 | 8,500,000 | ||||||||||||
刃長 : 74.0cm(2尺4寸4分) 反り : 1.6cm(5分) 元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.5cm |
登録証: 青森県教育委員会昭和26年6月20日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会特別保存刀剣鑑定書 平成16年4月6日 |
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説明: 山浦真雄は、本名を山浦昇といい、文化元年、信州赤岩村(現:長野県小県郡滋野村)に生まれた。文政12年に弟、清麿と共に上田藩工:河村寿隆に学び、完利、寿昌などと銘し、のち正雄、真雄となり、さらに晩年には寿長と改銘して明治7年、71歳で没している。彼は、寿昌時代には「天然子」の号を、一番長い真雄時代には「遊射軒」・「遊雲斎」などの号を用いている。作風は清麿と同じく、寿隆風の丁子に始まって相州伝に転じている。 本作は、銘振りより嘉永5~6年頃のものと推察され上田打ちとなる。真雄は嘉永元年4月、上田藩6代藩主の松平伊賀守忠愛よりその佩刀と長巻50振の注文を受けており、上田には6年まで滞在している。ここの刀は形状は、鎬造、庵棟、身幅やや広く、重ね厚め、元先に幅差少しく、先反りややつき、大鋒となる。鍛えは、板目、総体に柾がかり、地沸厚くつき、地景頻りに入る。刃文は、互の目に小互の目、少しく尖りごころの刃など交じり、足長くよく入り、匂口深く沸厚くつき、金筋・砂流しさかんにかかり、匂口明るく冴え、帽子は、直ぐ調に小さく乱れて小丸に返り、先さかんに掃きかけるなどの作域を示している。地景を頻りに交えて地沸の厚くついた強い鍛えがよく、刃中よく沸づいて、金筋・砂流しの働きも同工の作としては常以上に豊富であり、身幅広く大鋒の豪壮な造り込みを呈していて、地刃の出来口とあわせて極めて覇気にみちた作である。 |
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備考: 新々刀 上々作 |





