商品詳細
大刀剣市 カタログ掲載品 |
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刀 吉行(陸奥守・土佐) (新刀中上作) (坂本龍馬の愛刀) Katana [Mutsunokami Yoshiyuki]
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特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper No.
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No. A00684
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白鞘 銀無垢二重鎺
土佐刀工押形集 所載 |
4,300,000 | ||||||||||||
刃長 : 64.4cm(2尺1寸2分弱) 反り : 1.3cm(4分) 元幅 : 3.2cm 先幅 : 2.2cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.4cm |
登録証: 高知県教育委員会昭和26年6月14日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会特別保存刀剣鑑定書 令和2年8月28日 |
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説明: 陸奥守吉行は、江戸時代中期、延宝頃の刀工で、坂本龍馬の佩刀の作者として著名である。本名を森下平助といい、奥州宇多群中村(福島県相馬市)に、刀工の森下播磨守吉成の次男として生まれ、兄に上野守吉国がいる。父兄とともに大阪に出て、住吉に居住、三品派の大和守吉道に師事する。業成って陸奥大掾、ついで陸奥守を受領し、山岡家の養子となり山岡平助となる。元禄(1688)年中、土佐藩に招かれて鍛冶奉行となり、高知城の東、種崎町に移住する。藩主:山内豊昌の愛顧により、長岡郡仁井田村(高知市)に、一町五段五歩の田地を与えられた。そして九反田の東、鍛冶蔵(高知市城北町)において、藩の番刀を盛んに打った。それが終了すると、藩工を解かれたとみえ、大阪に帰って没した。吉行の作風は、師:初代大和守吉道の作風を受け継ぎ、当時、大坂で流行をみた河内守国助風の華やかな拳型丁字を焼き、他に直刃、初期には簾刃もある。「陸奥守吉行」「摂州住吉行」「陸奥大掾吉行」「吉行」などと銘す。作刀期は寛文、延宝、天和、貞享、元禄の頃である。 本作は、刃文は直ぐに短く焼出し風をみせ、その上は互の目・小互の目、丁字風の刃などに小のたれ交じり、足入り、匂勝ちに小沸わずかにつき、砂流しかかり、刃縁に小さな飛焼風の湯走りなど交えて、棟を焼くといった出来口をしめしており、上部は部分的に簾刃や菊水刃風をみせ遊びごころが感じられる。茎は独特なタナゴ腹となった形状に、銘振りは「行」の字形の2つの縦線が長く伸びたいわゆる「足長吉行」となるもので、この銘振りのものには優品が多いといわれている。 高知県の昭和26年登録となっており、土佐刀工押形集にも所載し、長く郷土の高知県に御国物として伝えられたものであろう。差し込みによる上研磨が施され、白鞘と銀無垢鎺が新調されておりコンディションが良好であることも好ましい。 |
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備考: 新刀 中上作
上研磨済み(差し込み) 新規白鞘・鎺制作 |






