商品詳細

刀 於江都藤原清人

慶応三年二月日(新々刀上作)

Katana [Saito Kiyohito]
第51回重要刀剣
NBTHK Jyuyo Paper No.51
No. A00670
白鞘 銀無垢一重鎺 6,500,000

刃長 : 70.7cm(2尺3寸2分半) 反り : 2.0cm(6分強) 

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.35cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.55cm 

登録証:

東京都教育委員会
平成17年6月14 日
国: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)
時代: 江戸時代後期 慶応3年 1867年

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
重要刀剣指定書
平成17年10月13日
銘: 於江都藤原清人作之
慶応三年二月日
形状 : 鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差目立たず、身幅の割に鎬筋狭く、平肉つかず、踏張りごころがあり、反り深く、先反りごころつき、大鋒、ふくら枯れる。
鍛 : 板目に杢。流れ肌交じり、地沸厚くつき、荒めの地沸むらづき、地景細かによく入る。
刃文 :

互の目乱れに頭の丸い刃・角ばる刃・小互の目・尖りごころの刃など連れて交じり、足長くさかんに入り、葉を交え、匂ややむらとなり、沸厚くつき、荒めの沸交じってむらとなり、刃中に処々焼がぬけたような丸い玉(島刃)が見られ、ほつれ・湯走り風の二重刃を交え、下半金筋・砂流し長くかかる。

帽子 : 乱れ込み、表は先尖り、裏はのたれて小丸に地蔵風となり、共に掃きかけ、表一段と強く掃きかけ、金筋入る。
彫物 : (なし)
茎 : 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一、指表目釘孔の下棟寄りに長銘があり、裏に同じく年紀がある。

説明:

 斎藤一郎清人は、文政10年、羽州庄内大泉莊(今日の温海温泉)に生まれた。生家はこの地に温泉旅館を業としていたという。嘉永5年4月、志を立てて出府し、源清麿の弟子となった。この弟子入りは、庄内出身の金工船田一琴の世話によるものという。嘉永7年11月、師清麿の自刃にあい、修行期間は僅か2年余りに過ぎなかったが、よく学び師風を受け継いでいる。その後、師清麿の刀債を完済したことが、清人の名を高らしめている。清麿死後、安政2年まで四ツ谷伊賀町に、文久2年頃からは神田小川町に移り作刀し、慶応3年7月には豊前守を受領した。その後は往き来しながら作刀し、明治3年8月、政府が帯刀を禁じたため、鍛冶の道を廃し、郷里温海に帰り、旅館の主人として晩年を送り、明治34年8月24日、75歳でお没した。彼の作風は師風を受け継いだ清麿風の乱れ刃と、清人独特の大和伝の直刃との両様がある。

 この刀は、前者の好例であり、鍛えは板目に杢・流れ肌が交じり、地沸が厚くつき、荒めの地沸がむらづき、地景が細かによく入っている。刃文は互の目乱れに頭の丸い刃・角ばる刃・小互の目・尖りごころの刃等が連れて交じり、足長くさかんに入り、葉を交え、匂ややむらとなり、沸が厚くつき、荒めの沸が交じってむらづき、ほつれ、湯走り風の二重刃を交え、下半金筋・砂流しが長くかかり、また帽子は乱れ込み、先が尖って強く掃きかける(表)などの出来口をあらわしている。常々の同作に比して、下半の焼刃にやや荒ぶる風があり、そこに金筋・砂流しも一際目立っており、放胆で覇気に溢れた作柄に仕上げている。加えて身幅が広く、平肉がつかず、大鋒でふくらの枯れた形状は、清麿一門独特の姿態であり、豪壮で力強い。清人の本領が遺憾無く発揮された佳品である。なお「慶応三年二月日」紀は「豊前守」受領の直前であり、資料的にも基調である。

備考:

新々刀上作

詳細写真1
詳細写真2
詳細写真3
詳細写真4
詳細写真5
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