大刀剣市 カタログ掲載品
長曽祢虎徹興里

第45回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.45

No.F00212

白鞘 田野辺探山先生鞘書 金着二重ハバキ

      参 考 品

刃長 : 68.05cm  (2尺2寸5分弱) 反り : 1.9cm  (6分強)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.0cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.45cm

登録証

東京都教育委員会

平成12年11月14日

: 武蔵国 (埼玉県・東京都・神奈川県-東部)

時代 : 江戸時代中期 寛文5年頃 1665年頃

鑑定書

(財)日本美術刀剣保存協会

重要刀剣指定書

平成18年10月12日

長曽祢興里入道乕徹

形状

 

 

刃文

 

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広め、身幅の割に鎬筋やや広く、鎬高く、元先の幅差つき、反り深くつき、踏張りごころあり、中鋒。

板目総じてつみ、杢・腰元大板目風交じり、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、かね冴える。

直ぐに短く焼出し、その上は直刃を基調に浅く小さくのたれ、互の目連れ、小互の目・尖りごころの刃など交じり、足太くよく入り、匂深く、沸よくつき、処々強くむら立って崩れ、湯走り風交じり、ほつれ・二重刃・砂流しかかり、金筋目立って入り、匂口明るく冴える。

横手を焼き込んで直ぐに小丸、裏先尖りごころを呈し、共にさかんに掃きかける。

生ぶ、先細って刃上がり栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔二。佩表目釘孔を挟んで鎬筋を中心に細鏨大振の長銘がある。

説明

 長曽弥乕徹は元、越前の甲冑師であり、明暦2年頃、彼が五十歳位の時、江戸に出て刀鍛冶に転じた。通称三之丞と称したといわれ、興里と名乗ったが、入道して「こてつ入道」といい、その初めは「古鉄」の字を用い、後に「虎徹」の文字をあて、さらに寛文4年8月からは「乕徹」の字を使用している。年紀作では明暦2年が最初期であり、その最終は延宝5年である。彼の作風は地鉄が強く、地刃が明るく冴えるのが特色で、その作刀の多くに焼出しがあり、作風も前期には瓢箪刃と称される大小の互の目が繋がった刃を交え、後期には、焼きの出入りにあまり変化が見られず、頭の丸い互の目の連れた、いわゆる数珠刃と呼ばれる独特の互の目乱れを焼いて、その技量は高く評価されている。

 この刀は、鍛えは板目が総じてつみ、杢と大板目風が交じり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入っている。刃文は直ぐの短い焼出しが見られ、その上は直刃を基調に浅く小さくのたれ、互の目が連れ、小互の目・尖りごころの刃などが交じり、足太くよく入り、匂深で、沸がよくつき、処々強くむら立ち、砂流しがかかり、金筋が目立って入るなどの出来口を示している。彼の後期作、すなわち「ハコトラ」期の作である。この期の作域は、前述のように、数珠刃を得意として焼いているが、本作も数珠刃風の作柄をあらわしている。常々のこの種の作に比して、沸が強く荒びた風があり、地景・金筋等の働きも目立っているなど、放迫で野趣に富んだ作風に仕上げている。また刃縁にはほつれ・二重刃がかかり、湯走り風を交えた景色には風情が感じ取れる。地刃共に明るく冴えわたった乕徹会心の一口で、同工の本領が遺憾なく発揮されている。年紀はないが銘振りから推して、おそらく寛文5年頃の作と鑑せられる。

 なお本刀は寛文新刀としては反りが深く、しかも佩表に銘をきっていることから思うにおそらく太刀として製作されたものであろう。同作中太刀の遺例は僅少で、経眼4口に過ぎない。出来の点と併せて、乕徹研究上貴重な資料でもある。

備考

新刀 最上作。

最上大業物。

 

田野辺探山先生鞘書

「重要刀剣指定品 長曽弥乕徹

同工太刀稀也 本作経眼四振目之新資料而貴重無此上矣剰エ地刃出来覇気有而傑出セリ寛文五年頃之作ナラン珍々重々

刃長 貳尺貳寸五分弱有之 庚辰歳睦月中浣田野邉道宏 観并誌之(花押)」

長曽祢虎徹興里1
長曽祢虎徹興里2
長曽祢虎徹興里3
長曽祢虎徹興里4
長曽祢虎徹興里5