大刀剣市 カタログ掲載品
水心子正次

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.F00057

日本刀随感 所載

白鞘  金着二重ハバキ

     参 考 品

刃長 : 41.6cm  (1尺3寸7分) 反り : 0.4cm  (2分)

元幅 : 3.35cm 元重 : 0.8cm

登録証

東京都教育委員会

昭和44年11月31日

: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)

時代 : 江戸時代後期 天保八年 1837年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成15年08月05日

藤原正次(花押)

天保八丁酉年仲秋

形状

刃文

 

 

帽子

彫物

平造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、寸延びて、浅く反りつく。

板目つみ、処々大杢目交じり、渦巻き風となり、地沸厚くつき、地景太く入る。

のたれ調に互の目・小互の目・丁子風の刃など交じり乱れ、上部は一段と焼き高く華やかとなり、足入り、匂深く、刃中よく沸づき、金筋入り、砂流しさかんにかかり、飛焼き風の湯走りなど交え、明るい。

のたれ込み、小丸に品良く返り、先掃きかける。

表:櫃内に昇龍、裏:櫃内に摩利支天を浮彫し、その上に刀樋・添樋を丸留する。

生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違に化粧つく、目釘孔一、大振りの力強い長銘がある。

説明

水心子正次は、川部北司といい、大慶直胤に師事し、師の女婿となったと伝え、また一説には、二代:水心子正秀(白熊入道)の子ともいう。正次は水心子の号を用いており、このことからすれば、彼が実質的に川部家三代目を継承したことは明らかである。正次は下谷御徒町に住して作刀生活を送り、万延元年三月十一日に没したと伝える。作風は水心子流よりも銘字に至るまで全く直胤流であり、相州伝と備前伝が得意である。

この脇指は、板目がよくつみ、処々大杢目ごころが交じり、渦巻き肌風となり、地沸が厚くつき、地景が太く入った鍛えを呈しており、刃文はのたれ調に互の目・小互の目・丁子風の刃など交じり乱れ、上部は一段と焼き高く華やかとなり、足入り、匂深く、刃中全体がよく沸づき、金筋入り、砂流しが細かにさかんにかかり、飛焼き風の湯走りなど交え、明るいなどの出来口をあらわしている。彼が得意とする相州伝の作柄で、流石に地刃がよく沸づいており、刃中の働きも豊富である。加えて地刃共に明るく冴えわたっている点も特筆される。師、直胤の作風を髣髴とさせる一口で、銘字に至るまで、よく直胤流を受け継いでいる。

彫物は、表に「不動明王」の化身である昇竜、裏に三面八臂で猪に乗る「摩利支天」を精緻に彫刻し真に美事である。「不動明王」は戦いの神、「摩利支天」は護身、蓄財などの神として知られ、中世の頃より武士の間で厚い信仰の対象があった。添銘はみられないものの、櫃内に精緻で見事な彫物を浮彫にし、龍の鱗が小判を並べた様に丸くなる特徴をよく表し、本荘義胤による入念な彫技と推察される。刃文も上部は焼き高く、華やかに乱れているにも拘わらず、下部は彫物の櫃を意識して、やや穏やかな刃取りとなっている。刀工が後に彫物を施すことを想定し、下部の彫物周辺に刃文がかからぬよう意識的に焼刃を低くしたためであり、本作の彫物が生ぶ彫りであることを証明している。同様の現象が埋忠明寿・一竿子忠綱など彫物を得意とする刀工にもまま見受けられる。

水心子正次の本領が遺憾なく発揮された同作中の優品で、彼の相州伝の代表的な一口といえる。加えて、本荘義胤による入念な彫物も見事であり、直胤一門の技量の高さが窺い知れる。

<本荘義胤について>

 

本荘義胤は、父:本荘亀之助の子で亀次郎、のち亀之助を襲名する。号を雨丈軒・拾藻斎などと称す。刀工兼彫金師であり、水心子正秀や大慶直胤、直胤一門の次郎太郎直勝・水心子正次などの刀剣を専門に彫物をなす。初め、大慶直胤に入門し、刀も造ったようであるが作品は殆ど見られない。刀剣彫刻のほかに、鐔・縁頭などの刀装具も製作し、金工としてもその非凡な才能を発揮している。江戸下谷に住し、没年は不明であるが安政末年頃までは生存していたようである。

義胤の彫物は、末相州の名工で彫物の名人としても知られる総宗に私淑し、その作風は精巧を極める。龍の鱗が小判を並べた様に丸くなるなどの特徴がある。総宗同様に櫃内の浮彫を基本とし、彫物の種類は真の倶利伽羅が一番多く、上下龍、不動明王、波乗不動、横向不動、滝不動、岩上不動、渡唐天神、四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天(毘沙門天))、摩利支天、春日大明神、矜羯羅童子、制多迦童子、羂索、素剣、爪付剣、三鈷剣、旗鉾、梵字の重ね彫など多種にわたる。後の彫物の名人として著名な栗原信秀にも影響を与えたことは、信秀に同種を模したと思われる作品があることからも勘案される。「彫本城義胤」「彫よしたね」「彫よした袮」などの添銘が稀にあるが、彫工銘が刻まれていないものの方が多い。彫物を施した刀工は、水心子正秀・大慶直胤が最も多く、文化初年〜文政四年頃まで水心子正秀、それ以降は大慶直胤にそれぞれ見られ、次いで直胤一門の次郎太郎直勝・水心子正次などにも見られる。

備考

新々刀 上作。

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