大刀剣市 カタログ掲載品
相州行光

第5回特別重要刀剣 NBTHK Tokubetsu Jyuyo No.5

No. F00055

白鞘  金無垢二重ハバキ

人間国宝:本阿弥日洲先生 木札

伊予西条松平家伝来

     参 考 品

刃長 : 69.8cm  (2尺3寸強) 反り : 2.2cm  (8分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 2.0cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.4cm

登録証

青森県教育委員会

昭和26年06月19日

: 相模国 (神奈川県-中・西部)

時代 : 鎌倉時代後期 嘉元頃 1303-1306年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別重要刀剣指定書

昭和51年12月07日

(無銘) 行光

形状

刃文

 

帽子

彫物

鎬造、庵棟、身幅広めに、元先の幅差少なく、鎬幅狭く、反り深めにつき、中鋒となる。

板目、僅かに大肌交じり、地沸厚くつき、地景細かに頻りに入り、かね冴える。

小のたれに小互の目・小乱れなど交じり、匂深く、小足入り、沸厚くつき、金筋・砂流しさかんにかかり、湯走りなど交じり、匂口明るく冴える。。

乱れこんで、殆ど焼詰め、先さかんに掃きかけ、沸よくつき、金筋入る。

表裏に棒樋を掻き通し、添樋を掻き流す。

大磨上、先剣形、鑢目筋違、目釘孔三、無銘。

説明

相州行光は正宗・則重等と共に師、新藤五国光の創始した相州伝をさらに発展させ完成へと導いた刀工である。行光は正宗よりはやや先輩格とみられ、現存する有銘作は短刀に限られている。作風は古来の刀剣書によると多彩で、直刃以外に乱れ刃や、まま皆焼があることなどが記されているが、無銘極めのものは直刃或いは浅い穏やかな乱れ刃が多く、地刃に地景・金筋が著しく表現されている点は総じて新藤五の継承を明示している。

この刀は、大磨上無銘で相州行光と伝える一口である。身幅広めに、元先の幅差少なく、反りが深めで中鋒となる刀姿を呈し、鍛えは板目に柾ごころの肌合いが見られ、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入っている。また、刃文は小のたれに、小互の目・小乱れなど交じり、匂深で、沸が厚くつき、金筋・砂流しが目立ってかかり、地刃がよく冴えるなどの優れた出来口をあらわしている。

相州上工の作風を具現し、しかも鎬幅の狭い造込みにも相州物の見どころが示されており、茎先は剣形となるのも掟通りであり、相州行光の所伝は首肯し得るものである。同工の極めの中でも特に優品であり、鍛えが一段と優れている。

藩政時代は、伊予西条松平家に伝来したものである。

<伊予西条藩について>

 

西条藩は伊予国新居郡西条(現在の愛媛県西条市)周辺を領した。藩庁は西条陣屋。徳川御三家の一つ紀州徳川家(紀州藩)の支藩。

寛文10年(1670年)紀伊国紀州藩初代藩主徳川頼宣の3男松平頼純が紀州藩の支藩として3万石で入封。紀州徳川家(紀州藩主)が絶えた場合に備えた。第2代頼致は紀州藩主徳川吉宗が将軍となったため紀州徳川家・紀州藩主を継いだ。松平家は参勤交代を行わない定府の大名であった。 元禄7年(1694年)には藩士である菅野六郎左衛門と村上庄左衛門が高田馬場の決闘を行い、堀部安兵衛の助太刀で評判になった。 徳川一門の親藩ではあるが、明治維新の際には官軍として戊辰戦争に参戦している。 明治4年(1871年)廃藩置県により西条県となった。のち、松山県・石鉄県を経て愛媛県に編入された。

松平家は明治17年(1884年)子爵となり華族に列せられた。

 

備考

古刀 最上作。

人間国宝(重要無形文化財保持者):本阿弥日洲先生 最上研磨品。

 

人間国宝(重要無形文化財保持者):本阿弥日洲先生 木札

「特別重要刀剣 行光 長サ二尺三寸一分有之」

「伊予西条 松平家御伝来 日洲(花押)」

 

第5回特別重要刀剣指定品(第24回重要刀剣指定品)

相州行光1
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