商品詳細

脇指 源盛吉(谷川盛吉)

昭和癸丑年仲秋 (無鑑査)

Wakizashi [Tanigawa Moriyoshi]
無鑑査
Mukansa
No. A00691
白鞘 金着二重鎺 650,000

刃長 : 45.8cm(1尺5寸1分) 反り : 1.0cm(3分) 

元幅 : 4.1cm 元重 : 0.75cm

 

登録証:

熊本県教育委員会
昭和60年5月17日
国: 熊本県
時代: 現代 昭和48年 1973年

鑑定書:

銘: 源盛吉
昭和癸丑年仲秋
形状 : 鎬造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、寸延びて、反り浅くつく。
鍛 : 板目、細かに柾がかり、やや肌目が立ち、地沸微塵に厚くつき、地景入る。
刃文 : 互の目に、小互の目・丁子風の刃など交じり、焼き高く、華やかに乱れ、足入り、沸強くつき、処々叢だち、、砂流しさかんにかかり、焼頭に小さな飛焼を交える。。
帽子 : 直ぐ調に浅くのたれて小丸にやや長く返り、先掃きよくかける。
彫物 : 表裏に刀樋に連樋を丸留し、表はその下に梵字を陰刻する。
茎 : 生ぶ、先剣形、鑢目切、目釘孔一。

説明:

谷川盛吉刀匠は、本名を谷川松吉といい、大正9年2月24日に生まれ、熊本県八代市において鍛刀を行った。昭和9年、金剛兵衛盛高靖博師に入門し、昭和15年には金剛兵衛一門に伝わる「盛」の字を受けて、源盛吉の刀匠銘を授かった。また、延寿宜繁師の後継であるところから、昭和16年には延寿宜次の名も授かっている。

昭和27年には講和記念刀を制作する栄誉を受け、昭和29年7月3日に製作承認を受けた。同年の第一回作刀技術発表会に入選し、その後も昭和42年・43年・45年の新作名刀展に入選。昭和60年には無鑑査に認定された。作風は幕末の名工「四谷正宗」と称された山浦清麿に私淑し、地刃ともに力強く、金筋・砂流しを交えた覇気ある出来口を得意としている。

本作は、昭和48年、谷川盛吉刀匠53歳の作で、備前長義の名品として知られる「大長義」または「庖丁長義」と号する一振に範を取った写し物である。長義は備前長船派の刀工でありながら、相州伝の作風を加味した、いわゆる相伝備前の代表工として知られる。

刃長は1尺5寸1分(45.8cm)、身幅広く、重ね厚く、寸延びて、反り浅くつく豪壮で段平風の姿を呈している。鍛えは、板目に細かに柾がかり、やや肌目が立ち、地沸微塵に厚くつき、地景入る。刃文は、互の目に小互の目・丁子風の刃を交え、焼き高く華やかに乱れ、足入り、沸強くつき、処々叢立ち、砂流しさかんにかかり、焼頭に小さな飛焼を交え、帽子は直ぐ調に浅くのたれて小丸にやや長く返り、先掃きよくかけるなどの出来口を示し、古作:備前長義の相伝備前の烈しい作風をあらわしている。「大長義」または「庖丁長義」の名称の通り、大柄な姿と相まって、迫力ある作品となっている。

「大長義」または「庖丁長義」は水戸徳川家に伝来し、徳川斉昭公所用、常磐神社旧蔵の旧国宝であったが、大正12年(1923)、関東大震災の際、東京本所の徳川侯爵家に保管中、惜しくも焼失した。継平押形に所載し、銘文は「備州長船住長義 貞治六年丁未十月」、さらに「大長義」と号が記されている。水戸徳川家の蔵となる以前、この頃は徳川将軍家にあり、その後、水戸徳川家に移ったものと考えられる。

表裏に刀樋に連樋を丸留めし、表はその下に梵字を陰刻するが、本歌には梵字が無いことから、谷川刀匠のアレンジによるものとみられる。身幅4.1cmを測る広壮な姿に、沸強く、砂流しさかんにかかる刃中の働きを示し、相伝備前の名工・長義に挑んだ谷川盛吉刀匠の意欲作である。

備考:

無鑑査

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