商品詳細

刀 清人作於江都造

元治元年二月日(新々刀上作)

 

 

Katana [Buzennokami Kiyondo]
特別保存刀剣
NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
No. A00689
白鞘 田野辺探山先生鞘書 金着一重鎺
清麿大鑑所載
4,500,000

刃長 : 72.0cm(2尺3寸8分) 反り : 0.8cm(5分) 

元幅 : 3.25cm 先幅 : 2.5cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.6cm 

登録証:

千葉県教育委員会
昭和26年1月30日
国: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)
時代: 江戸時代後期 元治元年 1864年

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
特別保存刀剣鑑定書
令和7年12月1日
銘: 清人作於江都造
元治元年二月日
形状 : 鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差目立たず、身幅の割に鎬筋狭く、平肉つかず、踏張りごころがあり、反り深く、先反りごころつき、大鋒、ふくら枯れる。
鍛 : 小板目肌つみ、部分的に柾がかり、地沸厚くつき、荒めの地沸むらづき、地景細かによく入る。
刃文 : 互の目乱れに頭の丸い刃・角ばる刃・小互の目・尖りごころの刃など連れて交じり、足長くさかんに入り、葉を交え、匂ややむらとなり、沸厚くつき、荒めの沸交じってむらとなり、金筋・砂流し長くかかる。
帽子 : 乱れ込み、先尖りごころに小丸にかえり、先掃きかける。
彫物 : 表裏に腰樋を丸留する。
茎 : 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。

説明:

 斎藤一郎清人は、文政10年、羽州庄内大泉莊(今日の温海温泉)に生まれた。生家はこの地に温泉旅館を業としていたという。嘉永5年4月、志を立てて出府し、源清麿の弟子となった。この弟子入りは、庄内出身の金工船田一琴の世話によるものという。嘉永7年11月、師清麿の自刃にあい、修行期間は僅か2年余りに過ぎなかったが、よく学び師風を受け継いでいる。その後、師清麿の刀債を完済したことが、清人の名を高らしめている。清麿死後、安政2年まで四ツ谷伊賀町に、文久2年頃からは神田小川町に移り作刀し、慶応3年7月には豊前守を受領した。その後は往き来しながら作刀し、明治3年8月、政府が帯刀を禁じたため、鍛冶の道を廃し、郷里温海に帰り、旅館の主人として晩年を送り、明治34年8月24日、75歳で没した。彼の作風は師風を受け継いだ清麿風の乱れ刃と、清人独特の大和伝の直刃との両様がある。

 この刀は、刃文は互の目乱れに頭の丸い刃・角ばる刃・小互の目・尖りごころの刃等が連れて交じり、足長くさかんに入り、葉を交え、匂ややむらとなり、沸が厚くつき、荒めの沸が交じってむらづき、金筋・砂流しが長くかかるといった清人の本領が遺憾無く発揮された優品である。清麿大鑑に所載することも好ましい。

備考:

新々刀上作

 

田野辺探山先生鞘書

「斎藤清人 七字銘与元治元年紀有之 師伝を継承せる作域也 出来宜敷同工の真骨頂を発揮せり

刃長二尺三寸八分弱有之 干時平成甲申暦卯月下院探山識(花押)」

 

清麿大鑑 所載

刀 刃長二尺三寸五分 反五分

「この刀を鑑定刀に出すと必ず清麿と入札される。清人辺りに、これほど立派なものが作れるとは考えてもみなかった。今後は清人を見直さなければならぬ」と所蔵者は頗るご満悦でこう話された。

”我がものと思えば軽し傘の雪”で、ご自身のものとなると、かくも、よく見えるものかと感じ入る。

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