商品詳細

刀 於東叡山麓岩野道俊作

安政二二丁巳歳二月吉日

Katana [Iwano Michitoshi]
特別保存刀剣
NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
No. A00645
白鞘 銀無垢一重鎺 750,000

刃長 : 74.0cm(2尺4寸4分強) 反り : 3.0cm(10分) 

元幅 : 2.95cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.5cm 

登録証:

愛知県教育委員会
昭和45年12月16日
国: 陸奥国 (青森県・岩手県・宮城県・福島県)
時代: 江戸時代後期 安政4年 1857年

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
特別保存刀剣鑑定書
令和4年12月14日
銘: 於東叡山麓岩野道俊作
安政二二丁巳歳二月吉日
形状 : 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚め、元先の幅差つき、先反り高くつき、大鋒となる。
鍛 : 板目、杢交じり、やや肌目がたち、地沸厚くつき、地景太く入る。
刃文 : 互の目・小互の目に、小丁子風の刃など交じり、足入り、小沸よくつき、やや叢となり、砂流しかかる。
帽子 : 乱込み小丸に返り、先掃きかける。
彫物 : 表裏に棒樋と添樋を掻き流す。
茎 : 生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違に化粧つく、目釘孔一。

説明:

岩野道俊は、竹蔵と称し、蟠竜斎と号す。盛岡藩南部家の刀鍛冶となる。江戸下谷に住すという。諸書には、三善会津道長門、尾張犬山の道賀門、本国越後、道寿同人などとあるがいずれも依るべき資料はない。唯一、南部藩の「諸職人末々之者身帯帳」に「一生二人扶持御出入刀鍛冶岩野竹蔵」とのみ記述があり、いつ頃南部藩に抱えらたか、無論、生国、没年共に不明である。銘文に「東叡山」と切ったものがあり、「東叡山」とは、現在の東京:上野にある東叡山寛永寺の意で、下谷は寛永寺の門前町であり、道俊がその周辺で鍛刀していたようである。彼は南部藩工であっても、本国ではなく江戸詰のお抱え工であり、それは「奥州住」「盛岡住」などの銘文がないことからも推測される。

作刀は、嘉永から明治初期に及び、作風・茎仕立て・鑢目・「俊」の通字などの点から長運斎綱俊門と考えるのが一番自然と思われる。他の南部藩工では、宮川秀一と新藤義国八代一心斎は長運斎綱俊の高弟である石堂運寿是一の門人である。また、運寿是一自身も奥州盛岡橋野山(現在の岩手県釜石市)の餅鉄を使用して鍛刀したものが銘文にのこされている。これらの点から南部藩工と長運斎綱俊門あるいは運寿是一との間に相当の交流があったようである。

道俊の作風は、長運斎一門と同様に互の目乱れの備前伝をもっとも得意とし、他にのたれ、強く沸づいたもの、稀に直刃もある。道俊の作品はそれほど多くなく、また、地方の奥州刀工ということもあり、あまり有名ではないが経眼する作品はいずれも上手であり、新々刀の上工と比較してもそれほど遜色がない程である。銘文に「以餅鉄造之」などがあり、良質な鉄の原材料として南部藩の近郊で採れる「餅鉄」を使用していたようである。

この短刀は、品の良い短刀姿に、地鉄は小板目肌つみ、地拂よくつき、地景入り、精美な肌合いとなり、刃文は浅いのたれ刃を焼き、よく調和している。同工の技倆の高さが窺える優品である。時代の小サ刀拵が附帯していることも好ましい。

備考:

鞘の下部にテープの痕跡があります。

詳細写真1
詳細写真2
詳細写真3
詳細写真4
詳細写真5