商品詳細

刀 大和守安定 (新刀上作)(良業物)

Katana [Yamatonokami Yasusada]
特別保存刀剣
NBTHK Tokubetsu Hozon Paper
No. A00612
白鞘 銀着一重鎺

刃長 : 69.3cm(2尺2寸8分半) 反り : 0.9cm(3分弱) 

元幅 : 2.85cm 先幅 : 1.9cm 元重 : 0.6cm 先重 : 0.45cm 

登録証:

群馬県教育委員会
昭和26年3月31 日
国: 武蔵国 (埼玉県・東京都・神奈川県-東部)
時代: 江戸時代初期 慶安頃 1648-1651年頃

鑑定書:

(公)日本美術刀剣保存協会
特別保存刀剣鑑定書
平成10年2月9日
銘: 大和守安定
形状 : 鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、元先の幅さややつき、反り浅くつき、中鋒となる。
鍛 : 板目つみ、鎬地の柾顕著となり、地沸厚くつき、地景入る。
刃文 : 大のたれを基調に互の目交じり、足入り、焼き高く、匂深く、沸厚くつき、処々叢沸となり、細かな砂流しかかる。
帽子 : 直ぐに小丸に返り、先掃きかける。
彫物 : (なし)
茎 : 磨上げ、先切、鑢目表の旧鑢が大筋違、新鑢勝手下がり、裏勝手下がり、目釘孔三。

説明:

 大和守安定については、従来、本国を越前とする説が有力であったが、「新刀弁疑」に「武州江戸住人、大和守安定と切る、此作ざんぐりとして錵匂深し、湾、直刃、大亀文(みだれ刃)いろいろあり富田と切、石堂一家なり、」と記し、また別の項に「安定・紀州」と示している。これについては、「紀州和歌山住安広造、(裏に)大和大掾安定作」と銘した脇指が現存することからも、「新刀弁疑」のいう紀州石堂出身説は首肯される。さらに彼の姓は作刀にまま見るように、「冨田(飛田の二様あり)・トンダ」であり、紀州石堂派の為康・康広も冨田姓を用いており、これも彼が同派出身とみるべき証左となろう。安定の生年については、「大和守安定 行年五十三歳作之(裏に)寛文十暦八月日」と銘した刀が違存し、これに拠れば、元和四年生まれということになる。その後、江戸に出るが、その時期については、慶安元年・二年紀の山野加右衛門尉永久の金象嵌のある同作に、「武州作之」と銘したものが現存し、慶安元年には既に江戸に出たものと思われる。また彼の師については、作風及び茎仕立、山野家の金象嵌截断銘などの共通性より、和泉守兼重とする説が有力である。大和守安定とその弟子で仙台藩工であった安倫の合作に「武州江城住大和守安定 奥州仙台住安倫(裏に)仙台住人山野加右衛門尉永久監之」と銘した刀が違存する。安定・安倫両人合作の銘文に加えて、山野加右衛門尉永久がこの一刀を監督すると銘しているところから、三者の浅からぬ関係が窺われ、さらに永久が「仙台住人」と明示していることを考え併せれば、遠く仙台から安倫を安定の許に入門させたのは、同国出身の山野加右衛門尉永久の斡旋によるものといわれている。作品は、慶安より延宝と続いて現存するが、万治頃が大成期とみられ、最も覇気のある作品が多い。安定の作風は、大別すると二様があり、一つはのたれに互の目を交え、のたれが角ばる傾向のものと、他の互の目を主調とした乱れ刃があり、同作中では、前者の作例が多い。

 本作は、磨り上げながら現状で2尺2寸8分半(69.3cm)の長さとなっており、目釘孔より勘案すれ生ぶの状態は2尺5寸(75.75cm)と超寸であったことが窺い知られる。大きめの緩やかなのたれを基調に互の目が交じり、鎬地にかかるほどに焼きが高く、刃沸が総体に強くよくつき、処々叢だってバサけごころの箇所もあり覇気が感ぜられる。

備考:

新刀上作

良業物

 

指裏の鎬地の中程から下部にかけて鍛え割れがみられます。

白鞘の中程に染みがあります。

詳細写真1
詳細写真2
詳細写真3
詳細写真4
詳細写真5