商品詳細
短刀 加州住貞之(開運貞之) 文政九年八月日 加黄金鍛之 Tanto [Kaiun Sadayuki]
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保存刀剣 NBTHK Hozon Paper
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No. A00589
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白鞘 銀無垢一重祐乗鑢鎺 | |||||||||||||
刃長 : 30.2cm(1尺弱) 反り : 0.8cm(2分) 元幅 : 2.85cm 元重 : 0.8cm |
登録証: 石川県教育委員会昭和59年3月21日 |
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鑑定書: (公)日本美術刀剣保存協会保存刀剣鑑定書 平成25年4月24日 |
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説明: 開運貞之は、本名を(尾木)隠岐長右衛門といい、貞行同人にして、江戸後期の文化頃に江戸より金沢に来住し、文政・天保頃にかけて作刀した、及び鐔工としても独特の手腕を有する。輪島や越中高岡辺での作も残されており、この地方の各地を訪れながらの作刀もしていたようである。一面、鐔工としても名を知られており、鉄之鐔の全面に蝦蟇蛙を彫り表した特異な鐔がみられる。 本作は、貞行の製作した短刀で銘文に「加黄金鍛之」とあるように鍛錬の過程において黄金が加えられている。地鉄は、小さめの杢目が幾重にもみられ、変わり鉄特有の肌がたっており、地景も太くよく入っている。刃文はよく沸づき、刃肌が絡んで刃中に幾重にも複雑な働きが細かに表れている。刀身には、表に草の倶利伽羅、裏に梵字と護摩箸をあらわしており彫技も鏨がよく効いており巧みである。
<黄金鍛え(おうごんぎたえ)> 黄金を加えて、刀を造る法。この方法の初見は「文明十六年銘盡」であって、豊前の神息が初めて試みたという。江戸期になると、享保(1716)ころの辻村兼若・法城寺光正、安永(1772)ころの近江守継平、天保(1830)ころの大慶直胤らが、銘に「加黄金造之」と切っている。これに対して、黄金鍛えは不可能だ、とする否定論、否定しないまでも、無益なこととする排斥論などが起こった。しかし、黄金を加えれば、地肌の色が変わったり、金筋・稲妻などの働きが現れるとか、鉄がよく伸びるようになるとかいう、擁護論も現れた。 研究心の強い水心子正秀と松村昌直は当時、江戸下屋にいた老刀匠:弘近から、銅鉄鍛えの法を伝授された。黄金鍛えもそれと同じ要領でやれば可能だ、という。まず銑または鍋鉄を溶かしたなかに、少量の黄金を投入、少し熱したのち、引き出して水中に投入し、急冷してから打ち砕く。それを刀にするには、卸し鉄に混入して折り返し鍛えするか、または黄金を加えた鉄を心金にし、その外を皮金で包んだのち、皮金に孔をあけて、叩き延ばせば、心金が皮金の孔のなかに出てきて、面白い肌になる、という。しかし、切れ味は良くないので、武人には向かない。天子や諸侯の刀に限る、という。現代の冶金学からいえば、鉄に黄金を混ぜることは、品質を低下させることになる。 (日本刀百科事典:福永酔剣著より) |
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備考: |