商品詳細
刀 武州住金子三代太郎源介秀造之(金子友秀) 七十五才 一期一振 応浜田金次郎氏需 昭和五十六年二月日 Katana [Kaneko Sukehide]
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No. A00539
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白鞘 金無垢一重鎺 | |||||||||||||
刃長 : 67.0cm(2尺2寸0分強) 反り : 1.8cm(5分強) 元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 5.5cm 先重 : 4.5cm
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登録証: 東京都教育委員会昭和56年3月26日 |
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鑑定書: |
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説明: 金子友秀刀匠は、明治39年5月2日に生まれ、大正11年、祖父の未完の素延べ材にて短刀を作刀する。刀匠銘を祖父:金子秀吉の「秀」と、父:兼太郎の「兼」をとり初銘を「兼秀」と称す。秋元昭友師の指導を受け、「友秀」を受銘し、61才で「介秀」とする。昭和15年、刀匠協会展出品より毎年入賞する。立川飛行機株式会社に鍛錬場を設置されて鍛刀する。昭和29年、9月4日作刀承認を受け、第一回新作名刀展入選、以後毎年出品する。 銘文に「一期一振」と刻されており、金子刀匠が老境に至り生涯最期の作品として注文打ちでもあり入念に鍛刀を行ったという意味であろうか。「一期一振」の解釈については、ほかに長寸のものは唯一振、生涯の最高傑作、あるいは藤四郎吉光の名物「一期一振」の写しなどともとれる。 「一期一振」の写しであるとすれば、寸法から磨上げ後に額銘が施された状態と推察される。刃文は光徳刀絵図に所載する大坂落城の前後では、落城後に初代:越前康継により焼き直しが施された寿斎本(1615)のものと、初代:越前康継が鍛刀した「一期一振」写しに近い。 形状も本歌は刃長2尺2寸7分(68.78cm)、反り8分5厘(2.58cm)、身幅広く、反りのついた太刀の姿形であるのに対して、越前康継の写しは、約1寸(3cm)の磨上げで刃長2尺1寸8分5厘(66.2cm)、反り5分(1.5cm)、身幅尋常に、先反りが浅くついた打刀の姿形となっており、棒樋の有無からしても本歌よりも写しに近いようである。 |
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備考: 古研ぎの為、部分的にヒケと細かな薄錆がみられます。 |