粟田口国吉

第11回特別重要刀剣 NBTHK Tokubetsu Jyuyo No.11

No.F00198

(附) 金梨子地葵紋蒔絵鞘合口拵

白鞘  本間薫山先生鞘書 金無垢二重葵紋台付ハバキ

名品刀絵図聚成 所載

     参 考 品

刃長 : 22.2cm  (7寸3分) 反り :僅かに内反り

元幅 : 2.3cm 元重 : 0.55cm

登録証

東京都教育委員会

昭和26年03月30日

: 山城国 (京都府-南部)

時代 : 鎌倉時代 弘安頃 1278-1281年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別重要刀剣指定書

平成01年11月08日

国吉(粟田口)

形状

刃文

 

帽子

彫物

平造、三ツ棟、身幅の割に寸詰まり、僅かに内反る。

小板目肌よくつみ、地沸つき、地景入り、梨子地肌状を呈し、沸映り立つ。

直刃が極く浅くのたれ、小沸つき、刃中に葉・島刃入り、匂口明るく冴え、処々二重刃かかる。

浅くのたれごころに小丸に僅かに返り、二重刃細やかにかかる。

表裏に刀樋を丸留する。

生ぶ、先栗尻、鑢目浅い勝手下り、目釘孔二中一埋。

目貫

金梨子地葵紋蒔絵鞘合口拵 総長 : 38.8cm

白鮫着 長さ:10.0cm

丸龍図、金無垢地容彫

説明

 粟田口国吉は則国の子と伝え、左兵衛尉に任じている。彼の子或いは弟子と伝える刀工に藤四郎吉光があり、また弟に国光がいる。現存する国吉の確実な太刀の違例は数振のみで、比較的に多いのが短刀であり、剣が数口あり、中にただ一口であるが「鳴狐」と異名のある大平造の打刀が存在している。国吉の活躍期は実存するものに弘安3年、「往昔抄」や「光山押形」に建治4年・弘安6年・弘安10年などの紀年銘が見られることにより明らかであり、これが年紀のあるものを全く見ない吉光の年代を推定する手懸りにもなっている。国吉の短刀の姿は身幅広く寸延びたもの、幅広く寸詰まって包丁形のもの、また至って小振りのものなど種々見られ、来派の如く一律でない点が特徴で、この形態の多様さは吉光に受け継がれている。ほとんどの作品に刀身彫刻が見られるが、棟の際にうんと寄って彫られているところも同派の大きな見どころである。しかも護摩箸や素剣を彫る場合、来派はこれを表裏に彫り分けることが多いが、粟田口物は全く同じ彫物を表裏に施すものが多い。

 本短刀は寸の短い割に幅広くズングリとして包丁形を呈しており、国吉の特徴ある形状の一つをよく表示している。国吉には他に丹波国篠山藩主:青山家に伝来した重要美術品や、吉光にもこれに類似するものに立花家伝来の国宝・尾張徳川家伝来の重要美術品(包丁藤四郎)がある。地は小板目が極くつまって梨子地肌となり、匂口の明るい直刃に此の工の手癖である二重刃がかかり、地刃の沸が美しく、典型的である。刀樋も棟に寄って彫られ、しかも丈が上に伸びるなど、ここにも粟田口物の特色が示されている。

 本作は昭和63年(1988)に第34回重要刀剣に指定を受け、翌平成元年(1989)には、そのまま第11回特別重要刀剣に指定されている。名刀揃いの特別重要刀剣指定品の中でも、重要刀剣指定の翌年に特別重要刀剣に昇格するのは数振のみとなる。如何にこの短刀が国吉在銘の稀少性と出色の出来映えを示すものかが窺い知れる。このような経緯で重要刀剣から特別重要刀剣へ続けて指定された品は「八艘飛び」などと呼ばれ、最大の賞賛と同時に一目を置かれる存在となっている。まさに、特別重要刀剣のなかでも粟田国国吉のみならず山城国粟田口物を代表する名品と言っても過言ではない。附帯する金梨子地葵紋蒔絵鞘合口拵も状態が良く、刀身の品格と良く調和している。金無垢二重葵紋台付ハバキと金梨子地葵紋蒔絵鞘合口拵には共に葵紋が施されており、徳川家ゆかりの名家に伝来したものであろうか。

備考

古刀 最上作。

 

第11回特別重要刀剣指定品(第34回重要刀剣指定品)

 

本間薫山先生鞘書

「粟田口国吉 正元比 刃長七寸三分 重要刀剣認定 薫山(花押)

昭和戊辰年文月日 於久我山房誌之(花押)」

 

名品刀絵図聚成 (田野辺探山先生:著) 所載

粟田口国吉1
粟田口国吉2
粟田口国吉3
粟田口国吉4
粟田口国吉5
粟田口国吉6
粟田口国吉7
粟田口国吉8
粟田口国吉9
粟田口国吉10
粟田口国吉11
粟田口国吉12
粟田口国吉13

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