重要無形文化財保持者 (人間国宝)

No.A00150

白鞘  金着二重ハバキ

(附) 共箱 - 宮入昭平筆

     売 約 済

刃長 : 72.9cm  (2尺4寸1分弱) 反り : 1.6cm  (5分強)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.4cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.45cm

登録証

長野県教育委員会

昭和47年11月01日

: 長野県

時代 : 現代 昭和四十七年 1972年

鑑定書

 

宮入昭平作

昭和二二十七年八月日

形状

 

刃文

 

帽子

彫物

鎬造、三ツ棟、身幅やや広めに重ね厚く、長寸にて頃合に反りつき、大鋒に結ぶ豪壮なる姿。

小板目肌よくつみ、地沸微塵につき、細かに地景入る。

互の目乱れ、物打ち辺一段と焼き高く互の目が大きくなり、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流し細かにかかり、明るく冴える。

乱れ込み小丸に返り、先掃きかける。

表裏に二筋樋を丸留めする。

生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。

説明

宮入昭平刀匠は、本名を宮入堅一といい、大正2年3月17日、長野県埴科郡坂城町に父豊吉の長男として代々の鍛冶屋の家に生まれる。14歳の頃より、家業の農具や刃物作りに従事し、作刀への憧れを強くする。昭和7年、群馬県沼田の鉈作りの名人:星野銀光へ一年間弟子入りする。昭和12年、東京市赤坂区氷川町の日本刀鍛錬伝習所(栗原彦三郎昭秀所長)に入門、作刀の修行を始める。その間、新作日本刀展覧会、陸軍軍刀展で多くの賞を受賞する。昭和20年、軍刀制作に従事するも空襲の激しい東京では仕事にならず坂城に帰り作刀する。昭和27年、師栗原彦三郎の呼びかけに応じ、講和記念刀を制作する。昭和28年、美術刀剣の製作が許され作刀が可能になり、文化財保護委員会より製作承認を受ける。昭和30年、(公)日本美術刀剣保存協会の作刀技術発表会で特賞を受賞し、以後、34年まで連続して受賞する。35年、無鑑査となる。昭和38年、50歳の時に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。昭和48年、ミヨ子夫人の病気回復祈願と作刀の心機一転を期して、「昭平」の刀匠銘を「行平」と改める。昭和52年、64歳で逝去。指導者としても、宮入清宗氏、高橋次平氏、大久保和平氏、渡邊繁平氏、河内国平氏、藤安将平氏、上林恒平氏などの多くの優秀な刀匠を育成し、宮入一門の名を高いものとしている。

本作は、身幅・重ねがあり、大峰の豪壮な迫力ある姿となる。刃文は互の目乱れに小沸がよくつき、刃中も金筋入り、砂流しがかかり、匂口が明るいなど優れた出来映えを示している。

宮入刀匠が59歳の作品であり、翌年には「行平」銘に改名している。この年には、紫綬褒章を受章し、上野松坂屋において個展を開催するなど精力的に活動されている。この刀はまさに宮入刀匠の円熟期における志津写しの優品である。

 

備考

昭和38年 重要無形文化財保持者に認定。(人間国宝)

宮入昭平刀匠自筆の共箱が附帯している。

「太刀 一口」

「昭和二二十七年菊月吉日 宮入昭平(落款)」

 

特別保存鑑定書(平成11年)がありましたが紛失の為、鑑定書のカラーコピーがあります。

宮入昭平1
宮入昭平2
宮入昭平3
宮入昭平4
宮入昭平5
宮入昭平6

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