山浦真雄

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.F00124

白鞘  素銅一重時代ハバキ

     売 約 済

刃長 : 68.8cm  (2尺2寸7分強) 反り : 1.5cm  (4分)

元幅 : 2.8cm 元重 : 0.8cm

登録証

岐阜県教育委員会

昭和27年06月18日

: 信濃国 (長野県)

時代 : 江戸時代後期 嘉永二年頃 1849年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成22年01月29日

正雄(山浦真雄)

(棟に)四

形状

 

刃文

 

 

帽子

薙刀造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、反り浅くつき、頭がさまで張らず美しい薙刀姿となる。

板目よく錬れてつみ、処々柾がかり、地沸厚くつき、地景太く入り、強い鍛えを呈す。

丁子を主調に互の目・小互の目・小丁子など交じり、足入り、焼き高く華やかとなり、匂本位に小沸よくつき、処々沸づき、金筋入り、砂流し幾重にもさかんにかかり、刃縁に小さな湯走り状の飛焼を交え、匂口明るく冴える。

表:乱れ込み、裏:直ぐに浅くのたれて、尖って返り、先掃きさかんにかける。

生ぶ、先切(尻をつまむ)、鑢目筋違、目釘孔一、棟に「四」の蔵番がある。

説明

 山浦真雄は、信州小諸赤岩村の郷士:山浦信風の嫡子として、文化元年に生まれ、弟に山浦清麿がいる。長生して、明治7年5月、71歳で歿している。はじめ清麿とともに上田の藩士で因州浜部一派の河村寿隆に学び、完利、寿昌などと銘し、のち正雄、真雄、さらに晩年は寿長と銘した。寿昌時代には天然子、一番長い真雄時代には遊射軒、遊雲斉などの号を用いている。清麿の弟子に同銘の鈴木正雄がいる為、そちらを「江戸正雄(えどまさお)」と呼ぶのに対し、「真雄(さねお)」と呼称されている。子に山浦兼虎がいる。作風は、清麿と同じく最初期には河村寿隆風の浜部然とした拳形を交えた小丁子乱れなどがあるものの、その後は相州伝に終始している。名工揃いの山浦一門の中にあって、清麿に次ぐ上手であり、作風ももっとも清麿に近い。作品は栗原信秀、鈴木正雄、斎藤清人ら他の一門に比べると、真雄・兼虎父子は多くない。地鉄、刃文もさることながら、薙刀造や脇指・短刀の冠落とし造・菖蒲造などの難しい造り込みであっても如何にも姿形が美しく、これも名工たる所以であろう。

 嘉永元年のはじめ、近畿中国地方の研究旅行から小諸に帰った真雄は、その4月に信濃国上田藩主:松平伊賀守忠固(忠優)より佩刀と長巻五十振の注文を受け、これを機会に松平家の居城である上田鍛冶町に居を転じた。真雄の息子:兼虎は、江戸四ッ谷の叔父:清麿の許で修行していたが、嘉永2年の末には帰国して上田に赴いて父に協力することとなった。真雄父子は嘉永6年まで上田において作刀し、真雄の「正雄」銘はこの頃のものであり、嘉永元年から3年までの短期間に限られ、翌4年には「真雄」と切っている。

 本作は、銘振りより嘉永2年頃の作で「正雄」銘のなかでも早い時期にあたり、棟に「四」の蔵番が刻まれている。上田藩松平家から注文打ちで、有事の際には、藩士に貸与するために上田城の武器蔵に納められたものである。嘉永6年にも同様に、信濃国松代藩真田家より長巻五十振りの注文を受けている。その際に行われた刀剣の荒試は有名な話で、古鉄・古鉄具足胴・鉄砂入渋粘陣笠・鹿角・四分一鐔・兜などに34回試し、さらに鉄杖・鉄敷とで棟打・平打をを31打も加え真っ二つに折れるまで繰り返すなど壮絶を極めており、真雄の刀が実用としても如何に優れているかを証明している。その日、真雄は不首尾の場合には割腹の覚悟で下に白装束をまとっていたという。

 2尺2寸7分強(68.8cm)の大薙刀で、長寸ながら先に行って頭がさまで張らず美しい薙刀姿となっている。地鉄は、よく錬れた鍛えに地沸が厚くつき、地景が太く入り、強い地鉄をみせている。刃文は、丁子乱れに沸がよくつき、金筋・砂流しなど刃中がさかんに働き、匂口が明るく冴えるなど優れた出来映えを示している。山浦真雄が45歳の作にして、松平家よりの注文打ちのため流石に入念作であり、清麿に優るとも劣らぬ名品である。製作当時のものと思量される腰の高く、呑み込みの深い素銅一重時代ハバキや薙刀拵鞘が附帯することも好ましい。

 余談ながら、附帯する茶の鞘は製作当時のものであり、嘉永元年の松平家、嘉永6年の真田家のものは本作のもののような茶色であり、天保5年に大慶直胤が真田家に納めたものは朱色となっている。

備考

新々刀 上々作。

 

数ヶ所あたりがみられます。

 

鞘側は薙刀拵の鞘、柄側は白鞘となります。

山浦真雄1
山浦真雄2
山浦真雄3
山浦真雄4
山浦真雄5

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