心慶胤光

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

(鐔) : 保存刀装具 NBTHK Hozon Paper

No.A00504

(附) 青貝変塗鞘打刀拵

白鞘  銀着一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 73.0cm  (2尺4寸0分半) 反り : 1.4cm  (4分半)

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.5cm

刀身重量(裸身) : 890g  刀身重量(鞘を払って) : 1,177g

登録証

東京都教育委員会

平成18年06月20日

: 常陸国 (茨城県-中部・東部)

時代 : 江戸時代後期 元治元年 1864年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成28年08月26日

心慶胤光造

元治元年八月日

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅やや広く、重ね厚め、反り浅くつき、中鋒延びごころとなる。

小板目肌よくつみ、地沸つき、地景入る。

浅くのたれごころを帯びた中直刃を基調に小互の目、処々に少しくふしごころの刃交じり、足・葉入り、匂深く、小沸つき、金筋入り、砂流しかかり、小さな飛焼風交える。

直ぐ調にわずかにのたれに小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。

 

縁頭

 

目貫

青貝変塗鞘打刀拵 総長 : 107.5cm

菊花図、丸形、鉄地、地透、両櫃孔、丸耳、無銘(京透)

高さ:7.9cm 幅:7.8cm 厚さ:0.6cm

白鮫着、茶糸柄巻。長さ:27.8cm

赤銅磨地、無銘

高さ:4.0cm 幅:2.3cm

松図、赤銅容彫、無銘(現代)

説明

心慶胤光は、本名を須藤栄吉と称し、天保3年4月14日に須藤粂右衛門の長男として常陸国真壁郡中館村(現在の茨城県筑西市下館)に生まれる。幕末の名工、大慶直胤の門人となり、土浦藩主:10代土屋寅直の時に長尾家(文殊包定)の名跡を継いでお抱え刀鍛冶となる。土浦藩の藩士録のひとつである「土浦分限帳」によれば、胤光は安政3年、同5年、同6年、万延元年と四度にわたり修業に出ており、明治2年には定録米二十俵であった。

土浦藩土屋家は、幕末の世上不安定な時期に直面して刀鍛冶の必要性を認識し、当時の名工として知られた大慶直胤の弟子の中から、常陸出身で23歳と年相応の胤光を嘉永7年に藩士として取り立てた。胤光は嘉永7年より土浦藩に「先手組格」として仕えた後、万延元年までの6年間を殆どを修業に費やしたと思われ、そして、万延元年7月10日をもって「格式到来方列刀剣鍛師」を申しつけられ、土浦藩に正式にお抱え刀鍛冶として認められる。しかし、明治9年、胤光が45歳の刀工としての技倆が冴えわたってきた時期に廃刀令が布告され、刀が打てなくなったことに胤光の心境が如何ばかりであったことかは想像に難くない。その後、新治郡真壁町(現在の茨城県土浦市真壁町)に移住し、野鍛冶を職業とし、その傍らで刀剣商もしていたと伝えられる。

彼の作刀期間は、確認される裏年紀のあるものには、安政2年より明治4年頃までのわずか15年間程と非常に短く、現存する作品は70振程と多くない。

 本作は、形状は鎬造、庵棟、身幅やや広く、重ね厚め、反り浅くつき、中鋒延びごころに結ぶ。地鉄は、小板目肌よくつみ、地沸つき、地景入り、刃文は、浅くのたれごころを帯びた中直刃を基調に小互の目、処々に少しくふしごころの刃交じり、足・葉入り、匂深く、小沸つき、金筋入り、砂流しかかり、小さな飛焼風交えるといった優れた出来口をしめしており、見事な京透鐔のついた青貝変塗鞘打刀拵が附帯することも好ましい。

備考

新々刀 中上作

 

ハバキの銀着せがわずかに剥がれがあります。

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