尾川兼圀

無鑑査 Mukansa

No.A00484

白鞘  金着一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 74.4cm  (2尺4寸5分) 反り : 2.0cm  (6分強)

元幅 : 3.3cm 先幅 : 2.4cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

登録証

岐阜県教育委員会

平成01年12月22日

: 岐阜県

時代 : 現代 平成元年 1989年

 

濃州武芸八幡住人兼圀謹作

平成元年十二月吉日

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広く、重ね厚め、元先の幅差少なく、反り浅くつき、中鋒となる。

板目よく錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景入る。

直ぐに焼出し、その上は互の目乱れ、小のたれ・小互の目交じり、濤欄風となり、足入り、匂深く、沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、匂口明るい。

直ぐに小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先浅い栗尻、鑢目勝手下がりに化粧つく、目釘孔一。

説明

 初代:尾川兼圀刀匠は、本名を尾川邦彦といい、大正14年1月25日、岐阜県武芸川町に生まれる。昭和14年、14歳より刀鍛冶の門をたたき、昭和18年、18歳のときに、千葉県で全国最年少の陸軍受命刀工となり初め圀忠と銘した。昭和20年の終戦後しばらく刀剣とは別の仕事についていたが、昭和47年、47歳の時に再び刀工の道を志し27代兼元:金子孫六師に入門し、昭和52年、52歳のときに作刀承認を得る。新刀名刀展では平成7年以降に特賞を含む数々の賞を受賞し、平成18年、無鑑査の認定を受ける。その後も86歳まで現役で鎚をとるが、平成24年、87歳で歿す。

 二代:尾川兼国刀匠は、本名を尾川光敏といい、昭和28年に尾川兼圀(邦彦)刀匠の次男として生まれる。昭和61年、33歳と時に父:兼圀に入門し、平成3年に作刀承認を得る。刀匠銘は父と同じく「兼国(かねくに)」を名乗り、初代は「兼圀」、二代は「兼國」と国の字を異字体にする。平成6年より新作名刀展に出品し、高松宮賞・文化庁長官賞・日本美術刀剣保存協会会長賞・寒山賞・薫山賞・全日本刀匠会会長賞など特賞をはじめとした多数の賞を受賞する。平成18年の初代:兼圀刀匠の無鑑査認定に続き、兼国刀匠も平成21年に無鑑査の認定を受ける。

作風は西の横綱とうたわれた津田越前守助広が創始した濤欄刃を初代:兼圀刀匠、二代:兼国刀匠ともに得意とする。

 本作は、形状は鎬造、庵棟、身幅広く、重ね厚め、元先の幅差少なく、反り浅くつき、中鋒に結んだ堂々とした寛文新刀姿に、地鉄は、板目よく錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景入り、刃文は、直ぐに焼出し、その上は互の目乱れ、小のたれ・小互の目交じり、濤欄風となり、足入り、匂深く、沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、匂口明るいといった優れた出来映えを示している。尾川兼国刀匠が得意とした津田越前守助広を髣髴させる濤欄刃にて地刃共に冴えていることが特筆される。

備考

無鑑査

 

ハバキ元に部分的に錆がみられます。

尾川兼圀
尾川兼圀
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