大和守安定

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.A00466

(附) 黒呂色塗鞘打刀拵

白鞘  佐藤寒山先生鞘書 金着二重ハバキ

      売 約 済

刃長 : 61.8cm  (2尺0寸4分強) 反り : 1.0cm  (3分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 1.9cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.4cm

登録証

兵庫県教育委員会

昭和26年08月22日

: 武蔵国 (埼玉県・東京都・神奈川県-東部)

時代 : 江戸時代中期 承応4年 1655年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成28年03月23日

冨田大和守安定

二ツ胴落山野加右衛門(金象嵌)永久(花押)

承応二二年卯月十五日

形状

 

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、棟のおろし急、身幅・重ね尋常に、元先の幅差あり、浅く反りつき、中鋒つまりごころとなる。

板目に杢交じり、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入る。

互の目を主調に乱れ、角がかった刃・尖りごころの刃など交じり、足よく入り、匂深く、沸よくつき、細かに砂流しかかり、金筋入り、匂口やや沈みごころとなる。

のたれ込み小丸に返り、先僅かに掃きかける。

生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一。

 

縁頭

 

目貫

黒呂色塗鞘打刀拵 総長 : 90.5cm

竹に雀図、木瓜形、赤銅地、金色絵、両櫃孔片方埋め、無銘

高さ:6.9cm 幅:6.4cm 厚さ:0.4cm

白鮫着、御納戸色糸柄巻。長さ:21.0cm

竹に雀図、赤銅魚子地、高彫、金色絵 銘:縁陸田清武

高さ:3.7cm 幅:1.9cm

桐鳳凰図、赤銅容彫、金色絵

説明

 大和守安定については、従来、本国を越前とする説が有力であったが、「新刀弁疑」に「武州江戸住人、大和守安定と切る、此作ざんぐりとして錵匂深し、湾、直刃、大亀文(みだれ刃)いろいろあり富田と切、石堂一家なり、」と記し、また別の項に「安定・紀州」と示している。これについては、「紀州和歌山住安広造、(裏に)大和大掾安定作」と銘した脇指が現存することからも、「新刀弁疑」のいう紀州石堂出身説は首肯される。さらに彼の姓は作刀にまま見るように、「冨田(飛田の二様あり)・トンダ」であり、紀州石堂派の為康・康広も冨田姓を用いており、これも彼が同派出身とみるべき証左となろう。安定の生年については、「大和守安定 行年五十三歳作之(裏に)寛文十暦八月日」と銘した刀が違存し、これに拠れば、元和四年生まれということになる。その後、江戸に出るが、その時期については、慶安元年・二年紀の山野加右衛門尉永久の金象嵌のある同作に、「武州作之」と銘したものが現存し、慶安元年には既に江戸に出たものと思われる。また彼の師については、作風及び茎仕立、山野家の金象嵌截断銘などの共通性より、和泉守兼重とする説が有力である。大和守安定とその弟子で仙台藩工であった安倫の合作に「武州江城住大和守安定 奥州仙台住安倫(裏に)仙台住人山野加右衛門尉永久監之」と銘した刀が違存する。安定・安倫両人合作の銘文に加えて、山野加右衛門尉永久がこの一刀を監督すると銘しているところから、三者の浅からぬ関係が窺われ、さらに永久が「仙台住人」と明示していることを考え併せれば、遠く仙台から安倫を安定の許に入門させたのは、同国出身の山野加右衛門尉永久の斡旋によるものといわれている。作品は、慶安より延宝と続いて現存するが、万治頃が大成期とみられ、最も覇気のある作品が多い。安定の作風は、大別すると二様があり、一つはのたれに互の目を交え、のたれが角ばる傾向のものと、他の互の目を主調とした乱れ刃があり、同作中では、前者の作例が多い。

 本作は、所持者の好みによりものか2尺0寸4分(61.8cm)とやや短めながら、強互の目を主調に乱れ、角がかった刃・尖りごころの刃など交じり、足よく入り、匂深く、沸よくつき、細かに砂流しかかり、金筋入り、匂口やや沈みごころとなるなどの出来口を示している。また棟のおろしを急峻に造り込んでいる点や、焼刃の匂口が沈みごころを呈し、帽子を浅くのたれ込ませて先を丸く焼いているところなどには、安定の手癖が看て取れる。本作は大和守安定が38歳、山野永久が58歳の作品にあたる。

 大和守安定が江戸に出たのは慶安元年頃(1648)といわれている。裏の銘文にある「二ツ胴落山野加右衛門(金象嵌)永久(花押) 承応二二(四/4)年(明暦元年/1655年:4月13日改元)卯月(4月)十五日」より江戸に出た後の作であることは明かであるが、「冨田」姓を名乗っている、銘字がやや小振りで詰まっている点などはこの頃の初期作にまま見受けられる。

 截断銘は山野加右衛門尉永久が二体の重ね胴落としを行っており、銘文は大和守安定が切銘している。大和守安定と山野加右衛門尉永久の関係は深く、多くの截断銘をみることができるが、初期には切銘のものが多く、後には金象嵌銘となる。本作のように「永久(花押)」の部分的に金象嵌を施すものは、はやり初期には見られるものの珍しいといえる。

 なお、余談ながら大和守安定は本作と同年である明暦元年(1655)には、仙台藩二代藩主:伊達忠宗公の招きにより陸奥国仙台を訪れて鍛刀を行っている。明暦元年は伊達政宗公の二十回忌にあたり、それに招かれたもので忠宗公の命により奉納刀を作刀している。同年4月17日に徳川家康公を祀る仙台東照宮、5月24日に伊達政宗公の瑞宝殿(政宗廟)と各人の命日に大和守安定が弟子達とともに鍛えた巨刀を奉納している。大和守安定の仙台滞在の期間は定かではないが本作も仙台打ちの可能性もある。

 附帯する黒呂色塗鞘打刀拵の金具は、伊達家ゆかりの竹に雀図の図柄となり、赤銅地に金色絵を施した一作金具にて、縁には「縁陸田清武」と銘文がある。清武については、作風や「清」の通字より仙台金工の草刈清定の門人と推察される。

備考

新刀 上作。

良業物。

 

佐藤寒山先生鞘書

「冨田大和守安定 承応二二年卯月年紀有之 山野加右衛門二ツ胴截断銘入

長弐尺寸二二分有之

昭和丗七年中秋明月□□ 寒山誌(花押)」

 

古研ぎのため、全体に薄錆がみられます。特に、指表の下部。

大和守安定1
大和守安定2
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大和守安定9

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