堀井秀明

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00414

白鞘  金着一重ハバキ

      売 約 済

刃長 : 36.2cm  (1尺1寸9分半) 反り : 0.4cm  (2分)

元幅 : 2.8cm 元重 : 0.65cm

登録証

広島県教育委員会

昭和36年03月28日

: 北海道

時代 : 現代 大正8年 1919年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成10年08月06日

(記号)三三 源秀明作(花押)

大正八年八月日

形状

刃文

 

帽子

彫物

平造、三ツ棟、身幅広め、重ね厚く、寸延びて、浅く反りつく。

板目つみ、杢交じり、地沸厚くつき、地景入る。

小互の目を連れて焼き、処々に腰の開いた刃交じり、総じて逆がかり、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかる。

直ぐに小丸に返り、先掃きかける。

表に素剣、裏に護摩箸を肉彫する。

生ぶ、先栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。

説明

 堀井俊秀は、明治19年、滋賀県滋賀郡下坂本村で徳田広吉の三男として生まれ、本名を徳田兼吉という。明治34年、二代:堀井胤明門人である松田胤勝より農鍛冶を修行。明治37年、19才の時に二代:堀井胤明に入門し、鍛刀を学び、明治44年、その勤勉さを見込まれ、女婿となり、「兼明」と初銘を銘す。大正2年、刀剣保存会(羽沢文庫)より水心子正秀の「秀」の一字を贈られ「秀明」と改め、また、昭和9年、皇太子御生誕となり、「明仁親王」と命名されると「明」の字を用いることは憚り多いことと考え「俊秀」と改める。大正7年、北海道室蘭の日本製鋼所室蘭製作所・瑞泉鍛刀所に入社し、鍛刀研究に従事する。大正12年、二代:堀井胤明亡き後は、堀井家三代目として瑞泉鍛刀所を継ぎ、優れた技術と卓越した人格者であったことから一門に繁栄をもたらす。昭和17年、宮内省より元帥刀十振の製作を命ぜられ、死を賭して謹作するも完成半ばにして、翌昭和18年、58才で永眠する。法名を龍渕軒瑞泉俊禿日兼居士、墓は大津市石山寺辺町西蓮寺にある。

日本刀展覧会へ自作の刀剣を出品し、総理、陸軍、文部省の各大臣賞を受けるなど、多くの栄誉を 得る。昭和2年頃より日本海海戦の旗艦:三笠の砲身を材料として製作した記念刀などもある。また、俊秀の作品は、刃味が優れていることは当時から有名となっている。

 本作は、平造の身幅広め、寸が延びたいわゆる段平な造り込みとなっている。地鉄は、よく錬れて板目に杢を交え、地沸が厚くつき、地景入る。刃文は、小互の目を連れて焼き、処々に腰の開いた刃交じり、総じて逆がかり、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、細かに砂流しかかる、といった作域をみせており、造り込みや刃取りから推察すれば南北朝時代の青江次直あたりを意識したものであろうか。一見すると、泰龍斎宗寛の上作かとおもうわれるほどの、堀井俊秀の技倆の高さをよく示した優品となっている。なお、茎に刻まれた記号は、当時、政府の要請より文官用に製作されたことをあらわしている。

備考

ハバキに少しガタつきがあります。

古研ぎのため、棟の下部に小錆、細かいヒケと刃先などに薄錆がみられます。

堀井秀明1
堀井秀明2
堀井秀明3
堀井秀明4

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