武蔵守国永

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00185

白鞘  素銅一重ハバキ

     参 考 品

刃長 : 27.2cm  (8寸9分強) 反り : (なし)

元幅 : 3.0cm

登録証

栃木県教育委員会

昭和46年09月16日

: 武蔵国 (埼玉県・東京都・神奈川県-東部)

時代 : 江戸時代中期 宝永2年 1705年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成18年06月28日

奉献山藤五郎左衞門尉藤原重辰

雄剣一振山藤求馬藤原重之

宝永乙酉歳二月日

武蔵守源国永作之(武蔵)

形状

刃文

 

帽子

両鎬造、元身幅やや広く、先に行ってさまで頭の張らない美しい姿となる。

板目、杢交じり、総体に柾がかり、少しく流れ、地沸厚くつき、地景入る。

広直刃、浅くのたれごころを帯び、匂深く、沸よくつき、刃縁に砂流し・打ちのけ・湯走りなどさかんにかかり、飛焼をわずかに焼く。

直ぐに丸に焼詰め、先掃きかける。

生ぶ、先剣形、鑢目鷹羽、目釘孔一。

説明

 武蔵守国永は、銘鑑では江戸時代中期:宝永頃(1704-1710)、武蔵国とあり、長曽弥虎徹・上総介兼重・大和守安定・法城寺らの一派に代表される江戸新刀の鍛冶であろう。両鎬造、元身幅がやや広めに、先に行ってもさまで頭の張らない美しい剣となる。地鉄は、板目に剣のために総じて柾がかり、地沸が厚くつき、刃文は、広直刃が浅くのたれごころを帯び、強く沸づき、砂流し・湯走り・打ちのけなど刃中よく働らいている。

 銘文によれば、山藤五郎左衛門尉重辰、山藤求馬重之の二人が宝永2年にこの剣を奉納した旨が記されている。山藤家は摂津国高槻藩永井家に仕えた一族で、平安時代に藤原秀郷公の六男末流で、藤原(俵藤太)秀郷公とともに下野国に下向したという。その後、江戸時代前期に至って徳川家に仕えた永井家に抱えられ、主家と共に近畿に移る。山藤家は江戸詰の家老を務め、高槻藩史料にもその名がみられる。本作は、想像を豊かにすれば下野国の藤原秀郷公が祀られた神社に、その子孫である山藤重辰・重之が奉納したものであろう。

備考

表:左側の中程に刃にからんだ傷があります。

裏:右側の下部に鍛え割れがみられます。

ヒケがあります。

武蔵守国永
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