播磨守輝広

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00159

白鞘  金着二重ハバキ

新刀大鑑 所載

     売 約 済

刃長 : 29.0cm  (0尺9寸5分半) 反り : 0.2cm  (わずか)

元幅 : 2.7cm 元重 : 0.65cm

登録証

東京都教育委員会

昭和35年08月11日

: 安芸国(広島県-西部)

時代 : 江戸時代中期 正保頃 1644-1647年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成20年08月22日

播磨守輝広(江戸時代中期)

形状

刃文

 

帽子

平造、庵棟、身幅頃合にて、重ねやや厚く、寸やや延び、ほとんど反りの無い短刀姿。

板目に、杢交じり、総体に流れ、刃寄りの柾強く、肌顕著に現れ、地沸つき、地景入る。

刃区を深く焼き込み、その上は浅い小のたれを主調に小互の目交じり、足入り、匂深く、匂い本位に小沸つき、ささやかな砂流しかかる。

直ぐ調に小丸に深く返り、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。

説明

安芸国広島の地には、浅野家の御抱え鍛冶として播磨守輝広家が著名である。中でも、初代:肥後守輝広、二代:播磨守輝広が名工の誉れ高い。初代:肥後守輝広は本国:美濃で、後に埋忠明寿の門に学び、福島正則に使える。正則に従い二代:播磨守輝広とともに尾張国清洲に移り、さらに慶長5年、関ヶ原の役後に福島家に従って安芸国広島に移った。広島移住の頃より、作刀は専ら二代:輝広が行っていたものとおもわれる。元和5年、福島家改易後、替わって入国した浅野家に仕え、子孫は代々に連錦を飾り幕末まで繁栄する。

作風は、本国が美濃であるところから美濃伝の片鱗が随所にみられる。地鉄は、板目に刃寄りなどに柾が交じり流れる特徴がある。刃文は、ゆったりとしたのたれを基調とし、やはり処々に尖りごころ刃などがみられる。また、埋忠明寿の影響を受け彫技も巧みである。

本刀の作者は、保存鑑定書では、「江戸時代中期」とのみ但し書きがあるものの、銘振りより勘案するに新刀大鑑に所載のとおり四代:甚右衛門の初期作と思量される。四代:輝広は、二代:甚八の子で、三代:長兵衛の弟、兄:長兵衛が若死したのでその後を継ぎ、作刀期間は寛永より寛文頃まで活躍する。

本作は、姿の良いやや身幅の広い短刀姿に、地鉄は、板目に杢を交え、総体に流れ、刃寄りの柾強く、肌が顕著にあられ地景入り、刃文は、ゆったりとしたのたれに小沸がつくなど、総じて古色ある作風となり、相州上工のなかでも「志津三郎兼氏」を髣髴させる。健全にて、上研磨が施されており、保存状態も極めて良好である。地肌の妙味を充分に味わえる初代・二代に負けずとも劣らぬ優品といえる。

備考

研磨・白鞘・ハバキともコンディションは極めて良好です。

播磨守輝広1
播磨守輝広3
播磨守輝広2
播磨守輝広4
播磨守輝広5

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