島田義助

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.A00430

白鞘

     売 約 済

刃長 : 63.0cm  (2尺0寸8分弱) 反り : なし

元幅 : 2.75cm 元重 : 1.3cm 先重 : 0.7cm

登録証

新潟県教育委員会

昭和33年03月01日

: 駿河国 (静岡県-中部)

時代 : 室町時代後期 大永頃 1521-1527年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成09年10月02日

義助作

形状

刃文

 

帽子

彫物

平三角造。

板目、杢交じり、総じて柾がかり、地沸つき、地景よく入る。

中直刃、浅くのたれごころに、匂本位に小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、湯走り・打ちのけ交える。

直ぐに焼詰め、先掃きかける。

平地に太樋を丸留めする。

生ぶ、先栗切、鑢目勝手下がり、目釘孔一。

説明

 室町時代、駿河国(静岡県-中部)には島田派があり、多くの刀工が存在したが就中、義助・助宗・広助の三工が室町中期から新刀期にかけて活躍し、技倆も上手である。古刀期のみならず江戸時代さらに幕末まで連錦として続いている。義助は島田派のなかでも主流となる刀工で、室町期だけでも四工いるといわれているものの、その代別は難しく、年紀のあるものでは永正二年紀のものが最も古い。義助の系図を古刀銘尽大全では、初代を康正頃としているが作刀をみることができず、二代までには50年近くの開きがある。二代は永正頃として片岡新三郎と称し、五条姓に変わったのはその後という。三代は天文頃、以後は義助の名がない。刀工総覧では永禄・天正年紀のものをあげて四代としている。掌中古刀銘鑑には四代:義助は天正・文禄頃としている。刀工辞典では実際に作刀のみられる初代を大永頃、二代を弘治頃としている。島田義助として最も上手で著名であるのは、この永正・大永頃の初代であり、銘字が全体に丸みを帯びてこぢんまりとした感がある。弘治頃の二代は初代に比べて銘を大振りに切る。作風は、末相州鍛冶の影響を色濃く受け、皆焼、乱れ刃、直刃などがあり、彫物も上手である。また、義助は槍の名手としても著名で、その代表作として日本号・蜻蛉切とともに「天下三槍」かぞえられる「御手杵」の作者としても広く知られている。

 2尺0寸8分弱(63.0cm)の長寸の大身槍で、古刀の槍は多くはどこからしに小傷や割れががみられるものの、本作は幸いにして無傷である。地鉄は、板目に杢を交え、総体に柾がかり、よく錬れて精美となる。刃文は、直刃がわずかにのたれて、匂本位に小沸つき、刃中よく働いている。

備考

古刀 上作

 

藤代松雄先生 最上研磨済

島田義助

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