瑞泉源俊秀

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00400

(附) 変螺鈿塗鞘打刀拵

白鞘  銀無垢一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 64.8cm  (2尺1寸3分強) 反り : 1.6cm  (6分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 2.0cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

登録証

東京都教育委員会

平成15年07月08日

: 北海道

時代 : 現代 昭和13年 1938年

鑑定書

(財)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成26年01月31日

瑞泉源俊秀

昭和十三戊寅六月吉日

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、反り浅くつき、中鋒となる。

板目つみ、地沸つき、地景入る。

小互の目に、少しく丁子風の刃など交じり、乱れ、足入り、匂勝ちに小沸つき、砂流しかかる。

小さく乱れて小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。

 

縁頭

 

目貫

変螺鈿塗鞘打刀拵 総長 : 97.5cm

瑞雲図、鉄地、葵木瓜形、鋤下彫、鋤残耳、(金印銘)

高さ:8.7cm 幅:8.2cm 厚さ:0.5cm

白鮫着、黒糸蛇腹柄巻。長さ:24.5cm

虎の子渡し図、赤銅地、高彫、象嵌色絵、大森英秀(花押)(と銘がある)

高さ:3.8cm 幅:2.3cm

蛇籠に牛図、赤銅容彫、金色絵

説明

 堀井俊秀は、明治19年、滋賀県滋賀郡下坂本村で徳田広吉の三男として生まれ、本名を徳田兼吉という。明治34年、二代:堀井胤明門人である松田胤勝より農鍛冶を修行。明治37年、19才の時に二代:堀井胤明に入門し、鍛刀を学び、明治44年、その勤勉さを見込まれ、女婿となり、「兼明」と初銘を銘す。大正2年、刀剣保存会(羽沢文庫)より水心子正秀の「秀」の一字を贈られ「秀明」と改め、また、昭和9年、皇太子御生誕となり、「明仁親王」と命名されると「明」の字を用いることは憚り多いことと考え「俊秀」と改める。大正7年、北海道室蘭の日本製鋼所室蘭製作所・瑞泉鍛刀所に入社し、鍛刀研究に従事する。大正12年、二代:堀井胤明亡き後は、堀井家三代目として瑞泉鍛刀所を継ぎ、優れた技術と卓越した人格者であったことから一門に繁栄をもたらす。昭和17年、宮内省より元帥刀十振の製作を命ぜられ、死を賭して謹作するも完成半ばにして、翌昭和18年、58才で永眠する。法名を龍渕軒瑞泉俊禿日兼居士、墓は大津市石山寺辺町西蓮寺にある。

 日本刀展覧会へ自作の刀剣を出品し、総理、陸軍、文部省の各大臣賞を受けるなど、多くの栄誉を得る。昭和2年頃より日本海海戦の旗艦:三笠の砲身を材料として製作した記念刀などもある。また、俊秀の作品は、刃味が優れていることは当時から有名となっている。

 本作は、鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、反り浅くつき、中鋒となった尋常な打刀姿に、地鉄は、板目がよく錬れてつみ、潤いが感じられ、地沸つき、地景入る。刃文は、小互の目乱れに、少しく丁子風の刃など交じり、足入り、匂勝ちに小沸つき、砂流しかかり、匂口が明るく冴えるといった優れた出来映えを見せている。指表の年紀の右側に所持銘を削除した痕跡があるが、さすがに注文打ちだけあり出来が良い。附帯する変螺鈿塗鞘打刀拵も数寄者好みの良い刀装具を使用している。

備考

聖代刀匠位列、最高位・神品の列・最上大業物 取締役格筆頭

昭和16年新作日本刀展覧会 特別名誉席

総理大臣賞・文部大臣賞受賞

国工称号授与刀工

 

指表 年紀の右側に所持銘を削除した痕跡があり、錆色が少し変化しています。

瑞泉源俊秀1
瑞泉源俊秀2
瑞泉源俊秀3

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