伯耆守信高

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00304

尾張徳川家鞘書 蔵番:智一ノ六十三

     売 約 済

刃長 : 55.8cm  (1尺8寸4分) 反り : 1.9cm  (6分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.5cm

登録証

静岡県教育委員会

昭和35年12月06日

: 尾張国 (愛知県-西部)

時代 : 江戸時代後期  安永4年 1775年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成24年04月25日

信高 信照作

安永四乙未年八月吉日

形状

刃文

 

 

帽子

彫物

鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、先反りつき、中鋒となる。

板目、処々柾がかり、総体に肌立ちごころに、地沸厚くつき、地景入る。

直ぐに焼出し、その上は互の目乱れ、小互の目・角張る刃・矢筈風の刃など交じり、足よく入り、濤欄風にやや角がかり、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、小さな飛焼交える。

直ぐ調に飛焼交え、小丸に返り、先掃きかける。

表裏に棒樋を丸留する。

生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。

説明

 信高は、政常・氏房と共に尾張新刀を代表する刀工で、中でも信高は幕末まで連枝として続き、初代から五代までが「伯耆守」を受領している名門である。銘振りは皆よく似ており代別の判別は難しいが、中でも作品の多いのが二代・三代となる。本作は、銘振りより五代:信高と六代:信照(初銘)の合作刀で、銘はすべて五代が切っている。

 五代:信高は、初め三之助信照と銘し、享保15年に伯耆守三之丞信高と改名し、天明3年に没す。

 六代:信高は、三之助信照と銘ず、天明3年、父:五代信高歿後、三之丞信高の改めるが、同年冬に没し、作品は僅かに父子合作刀のみを見る。

 本作は、尾張徳川家に抱えられた刀工の一人であった伯耆守信高の作で尾張家からの注文により製作されたものと思われる。1尺8寸4分(55.8cm)と長寸な大脇指で、地鉄は、板目、処々柾がかり、総体に肌立ちごころに、地沸厚くつき、地景入る。刃文は、直ぐに焼出し、その上は互の目乱れ、小互の目・角張る刃・矢筈風の刃など交じり、濤欄風となり、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、小さな飛焼交えるといった作風をみせている。研磨は当時の差し込み研ぎの状態のままで、味わい深いものとなっている。

 お家流の古鞘書きは尾張徳川家のもので、尾張徳川家に伝来した一振りであることがわかる。蔵番は「智一ノ六十三」とあり、当時の共柄が遺されているのも貴重といえる。共柄はハバキと柄が一体化したもので、ハバキ・柄の部分を別々に製作して合わせたものではなく、一つの木材から削りだしているので高い技術が必要となる。

<尾張徳川家 鞘書>

 

徳川将軍家・伊達家・上杉家・柳沢家などの各大名家の鞘書はそれぞれに特色あるものとなっている。尾張徳川家もその類に漏れず、尾張家の鞘は丸鞘(完全な丸鞘ではなく面をとる程度)で、柄は共柄となり、鞘と同じく少し面をとるか、完全に丸めたものもある。そして、尾張家の蔵番は、儒教における孔子が提唱した五常「仁義礼智信」の徳目を冠するのが通例となる。「仁一ノ十二」「仁二ノ八」などとあらわし、仁義礼智信の順序と数字が小さいほど珍重される。尾張徳川家刀剣台帳はいまも愛知県名古屋市の徳川美術館に保管されている。

備考

尾張徳川家伝来 蔵番:智一ノ六十三

「智一ノ六十三 信高 信照作御脇差 銘有長壱尺貳寸八分四分」

「智一ノ六十三」

 

共柄となりハバキがありません。

古研ぎの為、全体に薄錆・ヒケがみられます。

 

新刀 中上作。

伯耆守信高2
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