刀工について解説した刀剣書は数多くあるが、流派等について記されたものは意外に少ない。

平成13年、「刀剣要覧」第22版を発行するにあたり、「つるぎの屋」店主 : 冥賀吉也が「流派等による無銘極めの刀剣」について執筆いたしましたのでご参考ください。但し、重要刀剣指定品のものに限る。

 

「刀剣要覧」より

 

流派 読み 街道 国名
流派等による無銘極めの刀剣一覧
青江 あおえ 山陽道 備中国

備中国の刀工で鎌倉中期以降南北朝期に活躍した刀工。代表刀工として鎌倉期では、直次・吉次・助次・恒次、南北朝期では、次直・次吉等があげられる。それ等の刀工の作品を青江と総称している。作風は匂い口が締まりごころの直刃と、華やかな逆丁子乱れの二様があり、又、地鉄も小板目がよくつんで段映りの立つものと、板目が総体に肌立ちごころとなるものの両手がある。

綾小路 あやのこうじ 畿内 山城国

文永頃、京都の綾小路に居住していた定利を始祖とする刀工群を指し、銘鑑に貞則・定業・定家等がいるが現存するものは定利・定吉のみである。作風は一見、粟田口国安あたりを想わせる古雅なもので、匂い口のうるみごころの京逆足の刃文、沸崩れの帽子等に特徴がある。

粟田口 あわたぐち 畿内 山城国

京都の粟田口において鎌倉時代初期から中期にかけて活躍した刀工群を指し、国友を長兄とする久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟を始め則国・国吉・吉光等の名工がいる。優美な太刀姿、「鉄色青く刃白し」と評される様に梨子地の鍛えに上品な直刃を焼き格調の高い作品が多い。

一文字 いちもんじ 山陽道 備前国

一文字派は鎌倉時代初期から南北朝期に亘って備前国福岡・吉岡・片山・岩戸等の地に栄え、多くの良工を輩出した。この派が一文字と呼称される所以は、茎に「一」の字を切る為であるが、銘は「一」の字のみのもの、「一」の字の下に個名を添えるもの、又、個名のみのものもある。鎌倉初期の古調なものを古一文字、中期の最も華やかなものを福岡一文字、末期のやや刃文の小出来のものを吉岡一文字、逆がかったものを片山一文字と称し区別している。一文字極めの刀剣は福岡一文字と吉岡一文字の中間的な作風をしたもので鎌倉中期をわずかに降ったものを指す。

岩戸一文字 いわといちもんじ 山陽道 備前国

鎌倉末期以後に備前岩戸庄に在住した小規模な一派を岩戸一文字と呼称し、その祖を吉氏とする。一派の吉家の作に「一 備州岩戸庄地頭左兵衛尉源吉家」銘で元徳年紀を有するものがあり、他に吉信がいる。活躍年代が鎌倉末期の正中頃である事から古くは正中一文字とも呼ばれた。作風は丁子に互の目交じり、総じて焼頭が揃い小模様で小沸の付いたものである。

延寿 えんじゅ 西海道 肥後国

肥後国延寿派の始祖は、山城の来国行孫と伝える太郎国村といい、一派は鎌倉末期から南北朝期にかけて同国菊池郡の地に大いに繁栄した。その門葉には国資・国時・国泰・国吉など多くの上手がおり、それ等の刀工を総称して延寿としている。作風はそれぞれに際立った個性は少なく、概ね来物に近似しているが鍛えに柾ごころが目立ち、白け風の映りが立ち、来に比して地鉄がやや弱く、刃文は直刃が多く、匂い口がやや沈みごころとなる所や帽子が大きく丸く、しかも返りの浅い点等、来派との差異がみられる。

大宮 おおみや 山陽道 備前国

大宮派の呼称は、この派の遠祖国盛が山城国猪熊通大宮より備前へ移住した事によると伝えられ、盛景はその代表工とされているが近年諸説がある。ともあれ大宮極めの刀は南北朝期の姿に、鍛えは地斑の交じった板目に地景が入り、乱れ映りが立ち、刃文は湾れを主張としたもの、丁子と互の目の交じる変化のある乱れ刃、角互の目乱れ、青江気質のある直刃等多岐に亘っている。総じて長船正系の作品に比してはやや荒びた風を感じさせるが、逆に野趣のある地刃の働きがある。

片山一文字 かたやまいちもんじ 山陽道 備前国

片山一文字は福岡一文字派の則房が、後に片山の地に移住した為にこの呼称があり銘振りより数代あったと考えられる。作風は地鉄が強く冴え、丁子乱れが逆がかり、刃中の足が細かい処に見所がある。尚、則房は古来、薙刀の名手と伝えられ、薙刀直しの刀は片山一文字に多い。

甘呂 かんろ 東山道 近江国

甘呂俊長を指す。古来より高木貞宗の門人と伝えられており、現存する歳長の有銘作は太刀、短刀共に僅かであるが、これらの作風は鍛えに柾気があり、刃文は、ほつれて二重刃かかり、帽子も掃きかける等、総体に大和気質がみられる。甘呂(俊長)極めのものは一見、高木貞宗に似るが大和色の加味された作風のものである。

小反 こぞり 山陽道 備前国

南北朝時代後期の長船鍛冶で、兼光及びその一門や長義・元重・大宮等の流派に属さない系統の明らかでない多くの刀工がいる。これらを一括して古来より「小反り物」と呼んでいる。その代表工として秀光・成家・家守・恒弘等がいる。作風は小模様の互の目乱を主とし、こずむ刃文のものが多い。

五条 ごじょう 畿内 山城国

五条派は三条宗近門と伝える兼永が京の五条に住した事によりこの名がある。一派には他に国永・兼次・兼安等の刀工がいるが兼永、国永以外は在銘確実なものとはみない。時代は平安後期である。五条極めのものは、兼永か国永に決定出来ぬ迄も宗近の流れを汲む古い京風の作風、即ち、優美な太刀姿に、刃文は小乱を主として、小丁子を交え、小足が入り細かに金筋、砂流しかかり、更に二重刃、三重刃を交えた作風のものである。

古青江 こあおえ 山陽道 備中国

備中国は古くより鉄の産地として知られ、青江派の刀工は同国の子位や万寿の地で作刀した。彼らの中で、平安末期より鎌倉中期頃迄の物を古青江と称している。古青江の代表刀工として、守次・貞次・為次・恒次・康次等々がいる。その作風は隣国の古備前物に類似し、それに比して、やや地味ではあるが渋い味わいのある刃文となり、地鉄は、杢目が目立ちやや肌立ち気味で、いわゆる縮緬肌となり、地斑の交じるものである。

古一文字 こいちもんじ 山陽道 備前国

福岡一文字派は鎌倉時代初期から中期にかけて繁栄したが、その中でも則宗を始めとして、助宗・宗吉・成宗・宗忠・重久・貞真等、鎌倉初期のこの派の刀工達を別に古一文字と称している。作風は古備前に比しては丁子が目立って整い、映りが鮮明となり、古備前同様に沸出来である。

古宇多 こうだ 北陸道 越中国

宇多派は鎌倉末期の古入道国光を祖として、南北朝時代に国房・国宗・国次等の刀工が活躍し、同銘相継いで室町末期に亘って栄えている。この内、鎌倉末期から南北朝期の作品を古宇多と総称している。同派は大和伝と相州伝の両方が加味された作風をしている。地鉄は板目に杢目を交えてやや大肌となり、地が黒ずんでカス立つ処があり、刃文は小沸出来の中直刃に金筋、砂流しを交えながらも匂い口が潤みごころとなる。

古京物 こきょうもの 畿内 山城国

平安末期から鎌倉初期にかけての京には、宗近・吉家等の三条派、兼永・国永等の五条派、又、国友・久国・国清・有国・国綱等の初期粟田口派の刀工達の存在が知られている。古京物は鎌倉初期を下らぬ京物を指す。

古金剛兵衛 ここんごうひょうえい 西海道 筑前国

金剛兵衛一派は左文字と派を異にする筑前国の鍛冶であり嫡流は代々盛高を称しているが、鎌倉末期ないし南北朝期の物は殆ど現存せず、僅かに短刀に一口、正平年紀で「金剛兵衛尉源盛高」があるのみである。多くは室町期の物で末期迄続いている。古金剛兵衛は鎌倉末期ないし南北朝期のこの派の作と鑑せられるもので、作風は大板目肌立ちごころに白けごころあり、刃文、細直刃にほつれて小足入り僅かに砂流しかかり小沸つき匂い口沈みごころのものである。

古波平 こなみのひら 西海道 薩摩国

薩摩国谷山群波平の地に、平安時代の永延頃に大和から「正国」なる刀工が来住して波平派の祖となるという。その子を行安といい、門流は連綿と近世末に迄及んでいる。古波平とは南北朝期を降らない一派の刀工及び、その作刀の汎称で、作風の様式は大和物に近似するが、それに比しては地刃の沸が微細で、地鉄がねっとりとして柔らかに感じられ、匂い口も弱くうるみごころがあり、区際を焼落とす点等の特色がある。

古備前 こびぜん 山陽道 備前国

古備前とは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての備前の刀工及びその昨刀を総称するものである。同派の一般的作風は、生ぶの姿は腰反り高く踏張りがあり、先へ行って伏しごころを見せ、地は板目肌に地景が交じり、映り立ち、刃文、小乱、小丁子、互の目等が交じり沸づき、金筋のかかるもので、総じて華やかに乱れるものは少なく、直刃調か浅い湾れを基調にするのが通例で、総じて古香がある。代表刀工として、友成・正恒・包平・吉包・助包・景安・信房等がいる。

古伯耆 こほうき 山陰道 伯耆国

安綱を始め、その子と伝えられる真守、一門の有綱・貞綱・安家・真景等の一類は、古伯耆と総称され、平安時代後期より鎌倉時代初期にかけて栄えた。その作風は同時代の古備前物に類似した小乱れ主調の刃文を焼いているが、仔細にみると、鍛えは板目が大模様に肌立ち、地景や地斑を交えて黒みがかり、焼刃も匂い口がうるみごころに刃肌が立って、金筋、砂流しがしきりにかかり、処々小互の目や小湾れが目立って交じる等、古備前のそれともやや、趣を異にし、一段と強い地方色を見せるものである。

古三原 こみはら 山陽道 備後国

三原派は備後国三原の地に栄えたが、その中でも鎌倉末期から南北朝期にかけてのものを古三原と総称しており、正家・正広・正光・政広等がよく知られている。作風は大和気質が色濃くうかがわれ、直刃調の物が多いが、大和本国に比べて地刃の沸がやや弱く、鍛えが杢立ち、白け映りが目立ち、帽子も直ぐに丸く大きく返りおとなしいものが多い。

古吉井 こよしい 山陽道 備前国

備前吉井派は鎌倉後期に為則を祖として始まると伝えるが、鎌倉時代の作例は極めて少なく、同派の中でも南北朝を降らぬ年代のものを古吉井と称している。代表的刀工として景則・則綱・盛則・真則等がいる。作風は小互の目の連れた刃文を最大の特色とし、又、その刃文の形をそのまま地に現わしたような特徴ある映りであり、古吉井の場合、これに加え、地刃がよく沸付き、刃中に金筋、砂流し等の働きが目立つ所にその見所がある。

三条 さんじょう 畿内 山城国

三条派は平安後期に抬頭した一派で、山城物に限らず日本刀にしても最も古い流派で、宗近を第一として吉家・近村が著名である。三条極めの物は、宗近か吉家か決定出来ぬ迄も優美な太刀姿に小板目のよくつんだきれいな地鉄に映り立ち、刃文は、直刃調に小丁子、小乱れ交じり匂い深く小沸付き匂い口うるみごころのある古雅で古京物らしい作風を示したものである。

志津 しづ 東山道 美濃国

志津とは、元来、美濃国の地名であるが、此の地に正宗の門人兼氏が来往して作刀した事から、地名をとって志津三郎兼氏と呼称している。従って単に志津と呼ぶ場合は、兼氏を意味する事になる。古来、彼は正宗十哲の一人に数えられ、、それらの中にあって正宗に最も近い作風を示す刀工の一人とされている。一見、相州上工を想わせる作風を見せて、若干尖り刃の交じるところが志津である。

尻懸 しっかけ 畿内 大和国

大和五派の中で尻懸派は、則長を事実上の祖とし、同銘が相次いで数代存在する。銘鑑では初代を鎌倉後期の正応とするが、これよりさかのぼるものと思われる。尻懸極めの物は鎌倉後期から南北朝初期の則長一派の作品で作風は一般の大和物に共通したものに加え、地鉄がやや肌立ち黒味を帯び暗く冴えない点、小互の目を連れて焼く点等の特色が見られる。又、薙刀は尻懸派の作に最も多く見る処である。

末左 すえさ 西海道 筑前国

南北朝時代初期、筑前国には左文字が出現して、それ迄の古典的な九州物の作風を打破して、地刃の明るく冴えた相州伝の作風を大成し、同時に一門の刀工達も師風を受け継いで大いに栄えた。門人には安吉・行弘・国弘・吉貞・弘行・弘安・貞吉等がおり、彼ら門流の刀工及び作刀を総称して末左と呼んでいる。作風は師の左文字に倣い、沸出来の湾れに互の目の交じった焼刃を主調とし、帽子は突き上げて先の尖った物が多い。

千手院 せんじゅいん 畿内 大和国

この派は奈良の若草山麓の千手谷付近に在住した僧院に抱えられていた鍛冶集団という。伝書には平安末期の行信と重弘を祖とする二派の系図をあげているが異例は現存しない。千手院の極めの物は大和物に見えて姿、地刃が古調で製作年代が鎌倉前期を下らぬと鑑せられる古雅な物と、大和物に見えて他の四派(当麻・手掻・保昌・尻懸)に当てはまらない出来口、とりわけ他派に見えない程に盛んに乱れたり変化のある作風をした鎌倉期の大和物をいう。

当麻 たいま(たえま) 畿内 大和国

大和五派の一つである当麻派は鎌倉時代中期頃の国行をを祖として鎌倉高貴ないし南北朝期にかけて栄えており有俊・友清・友行等が知られているが、現存する有銘作は極めて少なく、その多くは無銘極めの物である。作風は大和物に極められた物の中でも、地刃の沸が一際強く、地景、金筋を織りなして本来の大和伝に相州気質を混在させている特色がある。

高木 たかぎ 東山道 近江国

高木貞宗を指し、相州貞宗の門人という。有銘の短刀が二口現存するのみであり、高木(貞宗)極めの物は、殆ど短刀である。作風は延文、貞治頃流行した寸延び幅広の姿に、湾れを得意として焼き、刃中に金筋、砂流を盛んに交え、彫物も上手である。しかし、相州貞宗に一歩及ばぬ処がある。

千代鶴 ちよづる 北陸道 越前国

越前千代鶴は来国安門の千代鶴国安を祖とすると伝えられ、時代を貞治の頃という。以後この派は室町期まで続き、応永頃に守弘等がいる。千代鶴極めの物は南北朝姿に地刃がよく沸えて、大互の目調に砂流しかかり、棟を焼いている。

中堂来 ちゅうどうらい 畿内 山城国

光包は中堂来と称せられているが、この事は彼が比叡山根本中堂に篭って鍛刀した事に因ると諸書には記されている。光包は来派中では異色の刀工で、来国俊門人であり乍ら一時、備前の長船長光にも師事したと伝えられ、その説を首肯させる作には大徳川家伝来の「名物乱光包」があり、一見、長光の子景光を想わせる出来である。しかし現存する作品の多くは来国俊に近似するもので、それよりも一段と地刃が強く、この辺の事を「如手引抄」には「国俊より地色青く底迄澄みて、沸細かに鮮やかにして、粟田口吉光景気の沸の如し」と述べている。

手掻 てがい 畿内 大和国

手掻派は東大寺に従属していた鍛冶集団とみられ、その祖は、年代を鎌倉後期の正応と伝える包永で、以後南北朝期時代、更には室町時代に亘って栄えており、大和五派中でも最も規模の大きな流派である。無銘手掻極めの物は、鎌倉後期ないし南北朝前期の二代包永或いは包氏・包利・包行等の弟子筋の作品と思われ、作風は大和物の中では最も沸の強い物であり、地鉄が明るく冴える処に特色がある。

直江志津 なおえしづ 東山道 美濃国

直江志津とは兼氏の門人である兼友・兼俊・兼次等が志津の地から直江の地に移住したため、これらの門人たちを総称していう。刃文は互の目を主体としてよく沸つき、砂流し、金筋かかって総じて志津一類の範疇ととらえる事が出来るが、尖り刃の交じる点が大きな特徴である。

中島来 なかじまらい 畿内 摂津国

来国長は来国俊の門人であるが、後に京より摂津の中島に移住した事から中島来と通称されている。銘鑑には同名二代をあげており、初代を元徳、二代を正平・応安頃としている。現存する有銘作は少なく、来派の伝統を継承した作風を見せており、一見、来国光風で作位的には若干劣る感の物である。

二王 におう 山陽道 周防国

周防国二王派は、清綱を事実上の祖として始まり、現存する作品では「文永ニ年三月 清綱」と切った太刀が最も古く、以後、一門の流れは南北朝・室町期を経て新刀期にまで及んでいる。代表刀工は古くは清綱・清久がおり、応永頃に清永・倫清・盛清等がいる。二王極めの物は鎌倉末期ないし南北朝期の物で、作風は大和気質の強い直刃調の物が多く、匂い口が締りごころとなり、刃のうるむ処があり、地鉄に柾が交じり白け映りの立つ見所がある。

長谷部 はせべ 畿内 山城国

長谷部派は信国派と並んで、南北朝期の山城鍛冶を代表する存在である。同派では国重・国信の両者が著名で、他に国平・宗信・重信等がいる。無銘長谷部極めの物はこれ等の刀工の作の総称である。作風は皆焼刃を最も得意とするが、まま浅い湾れと互の目を主調とした作例も見られる。地鉄は刃寄・棟寄に柾気を見せ、帽子は大丸になる等の特色がある。

平戸左 ひらとさ 西海道 肥前国

肥前国平戸に南北朝期に盛広その子盛吉がおり、盛広は左の一派と伝え、これを平戸左と呼んでいる。南北朝後期から室町初期にかけて守貞・貞清がいる。平戸左極めの刀は南北朝期の姿に刃文は浅く湾れて小互の目交じり、小足入り、砂流しかかり、匂い口沈みごころとなる。帽子は乱れこみ、突き上げて掃きかけている。

福岡一文字 ふくおかいちもんじ 山陽道 備前国

鎌倉時代中期の備前福岡の地に於て活躍した鍛冶集団で、吉房・則房・助真等の名工が数多くいる。福岡一文字極めの物は鎌倉中期の一文字派の作であるが個銘迄は極められない物をいい、作風は鎌倉中期の猪首切先の堂々とした体配に鮮明な乱れ映りがあり、刃文は最も華やかな大丁子乱に重花丁子を交えた物である。

(但州)法城寺 (たんしゅう)ほうじょうじ 山陰道 但馬国

法城寺は但馬国の地名で、南北朝時代この地に国光が在住し一派をなした。但州法城寺極めのは殆んど薙刀直しの刀や脇指で、刃文は丁子乱れが賑やかで、一見、備前一文字に見紛う程であるが、地刃の沸が一段と強く、大模様の鍛えに地景が入り、盛んに肌立ち、刃中に砂流し金筋をあしらっている作風である。

保昌 ほうしょう 畿内 大和国

保昌派は大和国高市郡に在住し、貞宗・貞吉・貞清・貞興等の上手を以って知られる。貞吉には文保・元亨・嘉暦等の年紀が見られ、これにより一派の活躍年代が鎌倉後期であることが解る。作風は柾目鍛え、直刃に喰違刃、二重刃、帽子は焼詰め等の特色がある。短刀に在銘の者がまま見られ鑢目は桧垣鑢である。保昌極めの物は、無銘乍ら前述の刀工達によって作刀されたものである。

舞草 まいくさ(もうくさ) 東山道 陸奥国

舞草鍛冶は奥州東盤井郡舞草(現一関市)周辺に居住した刀工郡で、文献的には平安期からであるが現存する有名の物は殆ど他に類がない。僅かに鎌倉末期と鑑せられる物で「舞草」とのみ銘する物が現存する。舞草極めの物は、板目が大いに肌立って流れ、注直刃が総体に小沸がついて、匂い口が沈みがちで、一見、再刃物を見る趣の物がある。

三池 みいけ 西海道 筑後国

三池とは筑後国三池の地に在住した刀工達の名で、その祖は平安時代末期の名工として名高い典太光世で、前田家伝来の「名物大典太」が代表作として知られる。光世は一人だけでなく、その後も同銘は鎌倉時代から室町時代へと継承されている。三池の作風は大典太以来、九州古作に共通する物で、板目が盛んに流れて地沸付き、ねっとりとして如何にも軟らかそうに見える肌合を呈し、小沸出来の直刃主調にほつれかかり、匂い口が沈みごころとなる刃文を見せているが、幅広で比較的浅い棒樋を好んで掻く処に一派の個性が窺われる。

大和志津 やまとしづ 畿内 大和国

大和志津とは兼氏が農州多芸郡志津に居住する以前、即ち、包氏と銘していた大和在住気の作を指すのが元来の意であるが、彼が農州へ移住した後も大和に包氏銘を襲った者が存在しており、広義にはこれを含めて大和志津と呼称している。刃文は浅い湾れを基調に互の目を交え、連れた互の目が目立ち、総体にほつれ砂流しがかり、よく沸付き、金筋が入る等、大和気質に相州伝の色彩が加味された物である。

吉岡一文字 よしおかいちもんじ 山陽道 備前国

一文字派の中で鎌倉末期から南北朝初期にかけて活躍した刀工を吉岡一文字と称しその代表刀工が助光・助吉・助義・助茂・助次・助秀等である。刃文は福岡一文字の様な大模様な物は少なく、多くは丁子より互の目が目立ち、逆がかる刃を交えたり、小模様に乱れとなり匂い口は締まった物となる。

龍門 りゅうもん 畿内 大和国

大和龍門派は千手院派の流れを汲むと伝え、吉野から宇陀へ抜ける吉野郡龍門荘に住した事からこの名があり、延吉によって代表される。年代は鎌倉後期の正応あるいは文保頃で、作風は地映りの立つ鍛えに賑やかな乱刃を焼き備前気質の表れた物と、大和伝の直刃ほつれ出来の二様がある。

 

   (参考) 刀剣要覧 第22版 飯村嘉章 : 著

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