大刀剣市 カタログ掲載品
越前康継

第16回特別重要刀剣 NBTHK Tokubetsu Jyuyo No16

No. F00053

白鞘  田野辺探山先生鞘書 金着二重ハバキ

康継大鑑・鑑刀日々抄  所載

      参 考 品

刃長 : 75.95cm  (2尺5寸1分弱) 反り :1.6cm  (6分半)

元幅 : 3.15cm 先幅 : 2.4cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.6cm

登録証

群馬県教育委員会

昭和26年03月31日

: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)

時代 : 江戸時代初期 慶長頃 1596-1615年頃

鑑定書

(財)日本美術刀剣保存協会

特別重要刀剣指定書

平成08年09月25日

於武州江戸越前康継

(金象嵌)二ツ筒落 中川左平太(花押)

形状

 

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅く、反り浅めにつき、中鋒延びる。

板目に杢、棟寄りに流れ肌交じり、地沸厚くつき、処々地景細かに入り、かね黒味がかる。

中直刃を基調に浅くのたれ、小互の目連れて交じり、小足頻りに入り、葉を交え、沸つき、処々ややむらづき、細かに金筋・砂流しかかり、表少しく湯走り風交じり、棟焼さかんにかかり、匂口沈みごころとなる。

浅くのたれて先尖りごころに深く返り、掃きかける。

生ぶ、先入山形、鑢目勝手下がり、目釘孔一、指表目釘孔の下中央に細鏨の長銘があり、裏目釘孔の下二行にわたって中川左平太の金象嵌截断銘がある。

説明

初代康継は近江国坂田郡下坂郷の出身で下坂一左衛門と称し、のち越前に移住、結城秀康に抱えられた。初期には、「肥後大掾下坂」と銘していたが、慶長10年から11年の間に江戸に召され、家康・秀忠両将軍の前で鍛刀し、その賞として葵紋及び「康」の一字を賜って名を康継と改めた。

この刀は、板目に杢・流れ肌が交じった鍛えに、地沸が厚くつき、地景が細かに入り、かねが黒味をおびているなど、いわゆる越前がねの特色をよく示している。刃文は中直刃を基調に浅くのたれ、小互の目をつれて交じり、小足が頻りに入り、葉を交え、沸がつき、処々ややむらにつき、細かに金筋・砂流し等がかかり、匂口が沈みごころとなるなどの出来口を見せている。初代康継本来の作域をあらわした特徴的な一口であるが、常々の作に比して、焼刃の沸づきの状態にあまりむらがなく、加えて刃味には一段と古色の風が感じ取れる。また帽子は浅くのたれて、先が尖りごころとなった三品風を見せ、返りが深く焼いているなど、ここにも初代康継の見どころが表示されている。手持ちが重く、ズッシリとした体配は、平肉が豊かで、頑健であり、地刃の出来と併せて、姿にも覇気が漲っており、迫力感を増している。初代康継の特色をよく示し、且つ出色の出来映えをあらわした傑作である。中川清秀の孫、中川左平太の截断銘も好資料である。

尚、田野辺探山先生の鞘書によれば、本作は古作:相州貞宗の写しとされており、出来映えが殊のほか優れていると、大いに賞賛されている。

<中川左平太重良について>

 

幕臣・将監重清の子。諱は秀恒、のち重良。大坂冬の陣・夏の陣には両度とも参戦する。寛永8年、3月に家督相続。同10年、二百石の加増があって千二百石になった。承応2年3月16日没。

弓術は日置吉田流の達人で、将軍:家光に対し弓術を説いたこともある。

試剣術の開祖とされる豊臣秀吉や徳川家康に仕えた武将:谷出羽守衛友の高弟で、江戸初期の数少ない試刀家として知られる。師:衛友が基礎を創り、弟子の中川左平太重良が体系化したのが谷流といわれている。門人には山野加右衛門永久おり、山野勘十郎久英、山田浅右衛門貞武とその技術は受け継がれていく。中川流、山野流、山田流と別れていき、それぞれ発展する。

截断銘のなかには、越前宰相忠昌、鍋島紀伊守、黒田筑前守、本多豊前守、水野勝貞など、依頼者の名を金象嵌したものがある。

徳川将軍家、越前康継家、中川左平太重良の三者の密接な関係を窺い知れる歴史的にも好資料といえる。

 

備考

新刀 上々作。

 

田野辺探山先生鞘書

「特別重要刀剣指定品 越前康継初代作

同工ノ本領ヲ十分ニ発揮セシ典型作而出来殊外優レ覇気充満セリ中川左平太 二ツ筒落金象嵌截断銘有之蓋シ私淑セルハ古作貞宗ナラン

刃長 二尺五寸一分弱有之 平成庚辰歳霜月穀旦 田野辺道宏恭観并誌(花押)」

 

第16回特別重要刀剣指定品(第21回重要刀剣指定品)

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