藤馬尉行広

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00446

白鞘  銀無垢一重ハバキ

\ 250,000 (税込)

刃長 : 18.4cm  (6寸1分弱) 反り : 内反り

元幅 : 2.1cm 元重 : 1.8cm

登録証

大分県教育委員会

平成04年09月09日

: 肥前国 (佐賀県・長崎県)

時代 : 江戸時代後期 文化頃 1804-1817年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成25年08月15日

藤馬尉行広(後代)

形状

刃文

 

帽子

彫物

鵜の首造、庵棟、身幅尋常、重ね厚め、内反りごころとなる。

板目、処々柾がかり、肌立ちごころに、地沸厚くつき、地景入る。

小のたれ調に互の目・小互の目交じり、足入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかる。

直ぐに丸に返り、先掃きかける。

表に腰樋を掻き流す。

生ぶ、先浅い栗尻、鑢目筋違、目釘孔一。

説明

菊池槍は、肥後の延寿鍛冶が作った片刃の槍で、多くの士卒が持ったために菊池千本槍ともいう。
菊池槍の特徴としてその形状は、切先は横手のない鵜の首造りとなり、ハバキもとには、刀と同様、刃区・棟区をつける。身幅が狭く、重ねが厚く、中心は槍同様、長いが、幅は刀同様に広い。反りは通りをよくするため、強い内反りとなる。

初代:行広は初代忠吉の婿養子であった橋本吉信の次男として、元和3年に生まれ、通称を九朗兵衛といい、兄に河内大掾正広がいる。行広家は連錦が続き7代まである。そのうち「藤馬尉」を冠するのは2代、そして5代と6代がある。

5代行広は、藤馬尉・藤馬允・藤馬丞を冠し、18歳で父を失ったので、6代忠吉の門に入って修行する。享和2年(1802)52歳までは健在というが、なお文化6年(1809)の作品が現存する。

6代行広は、清助といい、藤馬尉を冠し、天明6年(1786)に出生する。嘉永7年(1854)4月調べの「長瀬町竈帳」にその名が記載されている。「刀鍛冶 六拾九才 橋本清助」屋敷は現在の佐賀市長瀬町99番地であった。この「竈帳」の作成された年、つまり改元されて安政元年の11月3日に病没した。行年69歳、法名は浄西居士、墓は合葬されてはいるが、長安寺に現存する。

本作と書風を同じくする菊池槍の類例が遺されており、それには文化6年(1809)の裏年紀がある。5代であれば59歳、6代であれば23歳に相当するものであるが、年齢的には6代の自身作、或いは6代が5代の代作代銘した作品であろうか。

備考

藤馬尉行広

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