手柄山正繁

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00408

白鞘

新々刀大鑑 所載

     売 約 済

刃長 : 54.8cm  (1尺8寸2分強) 反り : なし

元幅 : 3.1cm 元重 : 1.2cm

登録証

埼玉県教育委員会

昭和26年11月08日

: 磐城国 (福島県-東部・宮城県-南部)

時代 : 江戸時代中期 寛政頃 1789-1800年頃

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成21年08月12日

白川家臣手柄山正繁

武陽於駿岱作之

形状

刃文

 

帽子

両造造。

板目つみ、処々柾がかり、地沸厚くつき、地景入る。

直刃を基調にハバキ元にのたれ、中程は焼きを一段と高くとり、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、湯走り・飛焼など交える。

直ぐに焼詰め、先掃きかける。

生ぶ、先切(尻をつまむ)、鑢目筋違に香包み状の化粧つく、目釘孔一。

説明

 手柄山正繁は、通称を朝七といい、丹霞斎と号し、三代目:手柄山氏繁の弟にあたる。初め四代目氏繁を襲名し、のちに正繁と改名した。播州姫路の刀工で、初代大和大掾氏重の末葉であり、手柄山の麓に住したことから、代々それを姓とした。天明8年、奥州白川の藩主松平定信の抱え鍛冶となり、江戸に移り住み、享和3年4月、甲斐守を受領した。文政の初年頃、一時大坂でも鍛刀しているが、後に江戸に戻っている。晩年には、楽翁(松平定信)から「神妙」の二字を賜り、会心の作にはこれをきるという。作風は総じて津田越前守助広に私淑した濤欄風の大互の目乱れのものが多く、上手である。

 本作は、1尺8寸2分強(54.8cm)と長寸な堂々とした体配を誇る大身槍となっている。両鎬造にて、地鉄は、槍ながら小板目肌がよくつみ、地沸が厚くつく。刃文は、直刃調に、ハバキ元や中程に変化をみせて、匂口深く、小沸がよくつみ、刃中には、金筋・砂流しかかり、飛焼・湯走りなどさかんにかかるなどの作域をみせている。手柄山正繁の技量の高さを窺い知れる名槍となっている。

備考

新々刀 上々作

手柄山正繁1
手柄山正繁2

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