備前介宗次

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.A00375

(附) 金梨子地鞘合口短刀拵

白鞘  金着二重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 24.8cm  (8寸2分弱) 反り : 0.3cm  (1分)

元幅 : 2.9cm 元重 : 0.65cm

登録証

三重県教育委員会

昭和37年04月02日

: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)

時代 : 江戸時代後期 嘉永7年 1854年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成26年05月13日

備前介宗次

嘉永七年五月日

形状

刃文

帽子

 

彫物

平造、庵棟、身幅広め、重ね厚く、浅く反りつく。

小板目肌、よく錬れてつみ、地沸つき、地景入る。

互の目に、小互の目、少しく丁子風の刃交じり、処々腰の開いた刃をみせ、足入り、匂深く、匂本位に小沸つき、明るく冴える。

のたれ込みに小丸に返る。

表裏に長梵字を肉彫する。

生ぶ、先入山、鑢目筋違、目釘孔一。

縁頭

 

目貫

小柄

金梨子地鞘合口短刀拵 総長 : 40.0cm

白鮫着。長さ:10.0cm

桐紋図、鉄地容彫、金色絵、無銘

高さ:4.2cm 幅:2.3cm

桐紋図、鉄地容彫、金色絵

流水に馬図、赤銅魚子地、高彫色絵 縦:9.7cm 横:1.4cm

説明

 固山宗次は、享和三年奥州白河に生まれ、俗名を宗兵衛(惣兵衛)といい、一専斎、精良斎、と号し、兄に宗平・宗俊がいる。宗次の師は加藤綱英と伝えられているが、その作風から勘案すれば、むしろ加藤綱俊の影響力が大きいものと思われる。初めは白河松平家の抱え工であったが、藩が勢州桑名移封後は、江戸に住して桑名藩工として作刀した。その居住地は麻布永坂という。弘化二年に備前介を受領している。宗次の作刀期間は文政の後半から明治初年の頃までにわたっており、その遺例も非常に多く、作風は備前伝が主であり、地鉄のよくつんだ綺麗な鍛えに、匂勝ちの丁子乱れを焼いて成功している。

 この短刀は、平造に身幅を広めにして、浅く反りつくのついた品の良い短刀姿を呈す。地鉄は、小板目肌がよく錬れてつみ、精美にして、刃文は、互の目に、小互の目、少しく丁子風の刃交じり、処々腰の開いた刃をみせ、足入り、匂深く、匂本位に小沸つき、明るく冴える。表裏には、やや大柄な長梵字を肉彫にて配している。やや寸のつまった短刀姿に、身幅を広めにとっており、このような姿形は南北朝時代の延文・貞治頃にみられる。ゆったりとした刃取りで丁子刃をやき、処々に腰の開いた刃をみせており、長船兼光をねらったものであろうか。固山宗次のもっとも得意とした備前伝の優品であり、附帯する金梨子地鞘合口短刀拵も格調高いものとなっている。

備考

新々刀 上々作

備前介宗次1
備前介宗次2
備前介宗次3

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