宮本包則

 

 

 

 

 

登録証

: 東京都

時代 :大正時代

鑑定書

宮本包則

 

説明

 宮本能登守包則は、天保元年8月25日、伯耆国武田村大柿(現:鳥取県-倉吉市大柿)の造り酒屋を営む旧家に生まれ、宮本志賀彦という。嘉永4年、22才で刀工を志して、備前長船横山祐包の門人となり、備前伝の鍛刀を学ぶ。安政4年、因幡藩倉吉の家老:荒尾志摩の抱工となり、さらに文久3年、京都有栖川熾仁親王の信任を得て、孝明天皇の御剣を鍛造し、慶応2年37才の時、能登守を受領した。明治19年、同郷の因幡の刀工である日置仁平兼次と共に、伊勢神宮の宝剣・鉾・鏃など多数を精鍛してその大業を果たし、さらに明治39年4月に月山貞一と共に帝室技芸員の栄職につき、専ら皇室の刀剣類を謹鍛した。「菅原包則」「宮本能登守包則」「能登守菅原包則」「帝室御刀工」「帝室技芸員菅原包則」などの作銘があり、因幡鳥取、伯耆倉吉、京都(銘は皇都と切る)、東京など、各地の地名を添えたものがあり、大正7年89才の生年切銘もあって、大正15年10月24日97才の高齢で没した。墓は当店の近く染井霊園(東京都豊島区駒込)にある。

備考

帝室技芸員

新々刀 上作