会津十一代和泉守兼定

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00318

(附) 黒呂色塗鞘打刀拵

白鞘  金着一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 70.7cm  (2尺3寸3分強) 反り : 1.6cm  (5分)

元幅 : 1.3cm 先幅 : 2.0cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

登録証

新潟県教育委員会

昭和37年03月15日

: 岩代国 (福島県-西部)

時代 : 江戸時代末期 安政頃 1854-1859年

鑑定書

(財)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成23年06月21日

兼定(之定) (会津・新々刀)

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅尋常、重ね厚め、元先の幅差つき、反り浅く、中鋒となる。

板目総じてつみ、処々柾がかり、地沸よくつき、地景入り、かね冴える。

互の目・小互の目を三つ連れて焼き、真ん中の互の目が大きくなる三本杉風となり、焼頭が丸みを帯び、足入り、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、匂口冴える。

直ぐ調にのたれ込み小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先剣形、鑢目筋違、目釘孔一。

 

縁頭

 

目貫

黒呂色塗鞘打刀拵 総長 : 98.4cm

山水図、竪丸形、鉄槌目地、鋤下彫、金布目象嵌、両櫃孔(鉛埋)、耳鋤残、無銘

高さ:8.3cm 幅:8.0cm 厚さ:0.3cm

白鮫着、金茶糸諸つまみ柄巻。長さ:22.8cm

秋草に群馬図、赤銅魚子地、高彫、金銀色絵、無銘

高さ:3.8cm 幅:2.3cm

馬図、赤銅容彫、銀色絵

説明

 会津兼定は、室町期の濃州関兼定の三代目にあたる孫を古川孫一郎または孫四郎といい、慶長年間に会津藩主:蒲生氏郷の鍛冶となり、奥州兼定の初代となる。以後、古川兼定家は会津における最も古い刀工の家柄となり、幕末まで刀鍛冶として連錦をかざり、三善長道、松軒元興らと共に会津を代表する刀工である。十一代和泉守兼定はその最後を飾る良工である。

 十一代兼定は天保8年12月13目、現在の会津若松市浄光寺町一番地に生まれ、幼名を友哉と称した。14才の時から父:十代兼定について鍛法を学ぶ。初銘を兼元と切り、十代兼定の代作代銘をなす。文久2年、会津藩主:松平容保公が京都守護職に任命されると、翌文久3年、幼名を清右衛門と改め、京都に上がり修業しつつ、和泉守を受領し、慶応元年に会津に帰る。受領後、刀銘は和泉守兼定と切る。新選組隊士の為に作刀したのはこの頃であり、副長:土方歳三の佩刀は慶応三年紀のもので、現在も東京日野市の生家に伝わっている。明治36年、67才にて没する。菩提寺は会津若松市実相寺、戒名は精錬印鉄心利剣居士。

 十代兼定は、天保頃(天保11年・14年紀が確認されている)を境に作刀が少なくなり、嘉永7年から安政にかけて、子の十一代兼定が代作代銘を務める。銘振りは、十代がやや太鏨で丸みがあるのに対し、十一代は細鏨で鋭く、「魚兼」の「ウ」が扇を拡げたようになる。鑢目や茎尻が剣形となり、やや張り、角の面を取るなどの特徴からも、本作は十一代が安政頃に代作代銘した一振りと推察される。加えて、小沸出来の三本杉刃の作風も十一代に比較的に多く経眼され、三本杉の頭が丸みを帯びているのも十一代の手癖をよくあらわしている。

 本作は、2尺3寸3分強(70.7cm)の常寸に、身幅尋常、元先の幅差がややあり、反り浅く、中切先に結ぶ一見すると寛文新刀にみえる体配であるが、重ねが厚めになるのが異なる。質実剛健の会津の気風によるものであろうか、新々刀期に至っても実用的な寛文新刀の姿に近いものが会津刀にはまま見受けられる。地鉄は、よくつみ、処々柾がかり、地沸が厚くつき、地景入り、かねが冴えたものとなる。刃文は、互の目が連れた所謂「三本杉」を焼き、本歌とは異なり、十一代は焼頭が丸くなる特徴がある。小沸がよくつき、金筋・砂流しなど刃中がよく働き、匂口が冴えている。初期の代作代銘ながら、名工:会津十一代和泉守兼定の技倆の片鱗をよくあらわした優品で、研磨・白鞘などのコンディションも良好であるのも好ましい。附帯する黒呂色塗鞘打刀拵も当時の生ぶ拵となり資料的にも貴重といえる。時代の雰囲気をよくあらわしており、会津藩士が所持していたものであろうか。

備考

新々刀 上作。

 

上研磨済み。新規白鞘・つなぎ。

会津十一代和泉守兼定1
会津十一代和泉守兼定2
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