二唐国俊

 

No.A00282

白鞘  金着二重ハバキ

      売 約 済

刃長 : 64.9cm  (2尺1寸強) 反り : 1.6cm  (5分強)

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.65cm 先重 : 0.5cm

登録証

青森県教育委員会

昭和54年08月20日

: 青森県

時代 : 現代 昭和20年 1945年

鑑定書

津軽住人父義信造之(二唐義信)

昭和廿年五月日国俊之(二唐国俊)

形状

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、先反りつき、中鋒となる。

小板目肌つみ、地沸細かにつき、地景入り、潤いある肌合いを呈す。

小丁子乱れ、小互の目交じり、足長く入り、匂深く、小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかる。

直ぐに品よく小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一。

説明

 二唐一門は、陸奥国津軽藩(青森県弘前市)の初代:津軽為信公の頃より、代々にわたり津軽藩の御用鍛冶を務める。近代においても、二唐一門は、国俊(昭弘同人)・義信・義弘らが陸軍軍刀技術奨励会の上位に名を連ね名声を得る。

 二唐主呂義信刀匠は、大正14年に生まれ、陸軍受命刀工に任命される。陸軍軍刀展において会長賞を受賞する。

 二唐国俊刀匠は、本名を広といい、明治39年に二唐義信の子として生まれ、刀匠銘を昭弘・国俊と銘する。作刀の業を堀井俊秀・栗原彦三郎に学び、作風は来を目標とする。陸軍軍刀展において陸軍大臣賞、作刀技術発表会特賞を2回、優秀賞などを受賞する。伊勢神宮・明治神宮の奉納刀を製作する名誉を得る。

 本刀は、寸法は2尺1寸と軍刀の常寸ながら、元先の身幅の付け方、反りの具合などから優美な刀姿をみせている。地鉄は、小板目肌がよく錬れてつみ、地沸がつき、地景が太くよく入り、鉄色が冴えて、潤いが感ぜられる。刃紋は、二唐国俊刀匠が私淑した来派のなかでも来国行を彷彿とさせる小沸出来の小互の目丁子乱れを焼き、刃中には輝く金筋が入り、優れた出来映えを示している。二唐義信・国俊父子の合作にして、終戦間際の昭和20年5月に製作されている。昭和20年は、義信が63歳、国俊が39歳にあたり、銘文は「父義信造之 国俊之」とあるところから二唐父子の合作にして、銘振りから国俊が切銘したものと推察される。太平洋戦争末期では物資にも乏しくなっていたとおもわれるが、これだけの抜群の地鉄を鍛えていたことに改めて二唐一門の技倆の高さに驚かされる。おそらくは高級将校による特別な注文であったのであろうか。出来もさることながら、戦後に施された研磨・白鞘・ハバキはすべて最上のもので、余程に大切にされていたのであろう。

備考

二唐国俊1
二唐国俊2
二唐国俊3
二唐国俊4

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