筒井紀充

保存刀剣 NBTHK Hozon Paper

No.A00249

白鞘  金着二重岩石ハバキ

     売 約 済

刃長 : 52.8cm  (1尺7寸4分) 反り : 1.4cm  (4分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 2.2cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.55cm

登録証

広島県教育委員会

昭和26年05月19日

: 大和国 (奈良県)

時代 : 江戸時代中期 享保7年 1722年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

保存刀剣鑑定書

平成23年04月12日

於河州越中入道紀充

享保七年八月吉日

形状

 

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅・重ね尋常に、市議の幅やや広く、元先の幅差つき、先反りつき、中鋒となる。

小板目肌よくつみ、鎬地の柾顕著となり、地沸厚くつき、地景入る。

のたれに大互の目乱れ交えて濤欄風となり、鎬地にかかるほどに焼幅広く、匂深く小沸よくつき、刃中にやや長めの砂流しかかり、棟をわずかに焼く。

焼深く、浅くたるみ込み、先小丸にて、返り深く焼下げ、先掃きかける。

ほとんど生ぶ(約1.0cmの区送り)、先急な刃上がり栗尻、鑢目筋違に香包の化粧つく、、目釘孔一。

説明

 筒井紀充は、本名を筒井輝邦といい、大和文殊派の鍛冶である越中守包国の子として寛文6年に生まれる。初銘は父と同じく包国を継ぎ、元禄の末から宝永の初期の頃に入道して銘を紀充ときる。初め大坂で鍛刀し、享保年中は河内で、のちに大和郡山の九条に移る。作風は、大坂新刀の影響が強く感じられ、特に津田越前守助広に私淑していたようであり、助広の片切刃造の脇指を忠実に写したものなどが遺されており、草書風の銘字や香包の化粧鑢などからも看取される。助広を想わせる沸・匂いの深い濤欄刃を焼くものの、助広に比べると沸の粒に大小が見受けられ、濤欄の肩が厳つき角張るなどの相違がある。加えて、大和文殊派の鍛冶であるので、越後守包貞(坂倉言之進照包同人)と同様に地鉄の柾が強く、それが刃中に絡むと金筋・砂流しがよく働き、長めとなる傾向がある。活躍年代が享保頃とやや時代が下がるので、大坂新刀上工と比べてしまうと知名度の違いは否めないが、彼の作品は4振が重要刀剣に指定されており、名工と呼べる高い技倆の持ち主である。

 本作は、助広を彷彿とさせる濤欄乱れを焼き、焼きがこれ程高いにもかかわらず破綻が無く、筒井紀充の技倆の高さがあらわしている。わずかな区送りは惜しまれるものの、紀充の作風を随所に見せた典型作であり、出来が優れている。

備考

新刀 中上作。

業物。

 

刃先にわずかに薄錆がみられます。

筒井紀充1
筒井紀充2
筒井紀充3
筒井紀充4

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