伊予掾宗次

第20回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.20

No.A00227

白鞘  金着二重ハバキ

     参 考 品

刃長 : 75.0cm  (2尺4寸7分) 反り : 1.3cm  (4分)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.6cm

登録証

兵庫県教育委員会

昭和55年10月02日

: 肥前国 (佐賀県・長崎県)

時代 : 江戸時代初期 慶長頃 1624-1643年頃

鑑定書

(財)日本美術刀剣保存協会

重要刀剣指定書

昭和46年06月01日

肥前国住人伊予掾源宗次

形状

 

 

刃文

 

 

帽子

 

鎬造、庵棟、身幅広く、やや長寸、元先の幅差あまり目立たず、身幅の割に鎬幅広めとなり、鎬高く、踏張りごころがあり、反り浅めにつき、中鋒のびごころとなる。

板目に杢・大板目交じり、肌目立ち、地沸微塵に厚くつき、地景さかんに入り、地斑を交え、かねやや黒みをおびる。

互の目乱れに尖りごころの刃・小のたれなど交じり、足頻りに入り、葉を交え、刃中華やかとなり、匂深く、沸厚くつき、処々荒めの沸が交じってむら立ち、総体に金筋・沸筋・砂流し等がさかんにかかる。

表は直ぐ調に浅くのたれて小丸に返り、裏は乱れて大丸となり、先さかんに掃きかける。

生ぶ、先浅い栗尻、鑢目勝手上がり、目釘孔一、指表、棟寄りに細鏨大振りの長銘がある。

説明

 初代:伊予掾宗次は、堺三右衛門と称し、代々長瀬村(初代:忠吉の出身地)の天満宮の神職にあたった家柄と伝えている。のちに佐賀城下の長瀬町に移って鍛刀し、さらに肥前諫早に転じたという。伊予掾受領の時期については、宗次の子孫である境家に伝えられている古文書の中に、「伊予掾宗次系図」が存在し、それに拠れば、慶長11年であることが、理解され、現に慶長12年紀で伊予掾を冠した作刀が違存していることから見ても首肯されよう。作風は、肥前刀工群中にあって特異な存在であり、地刃がよく沸づき、盛んな乱れを焼いて尖り刃を交え、金筋・砂流し等がかかるなど、相州伝、とりわけ志津風の作域をあらわし、また肥前刀一般が帽子を直ぐに小丸に焼くのに対して、その殆どが乱れ込んだものとなっている。茎仕立も相州伝を意識した為か、刃方の肉を落としたタナゴ腹風のもので、指表に独特の銘字をきることを通例としている。

 本作は、互の目乱れに尖りごころの刃などを交え、足が頻りに入り、葉を交え、焼きが高く複雑に乱れ、刃中は華やかとなる。帽子は乱れ込んで強く掃きかけるなど、彼の見どころも窺える。地刃に厚く沸がつき、総体に金筋・沸筋・砂流し等がさかんにかかる様には、この工ならではのものがある。また幅広にして、やや長寸で頑健な体配は、肉置が豊かで好ましい。初代:伊予掾宗次の本領が遺憾無く発揮された覇気溢れる一口で出来がよい。

備考

新刀 上作。

伊予掾宗次1
伊予掾宗次2
伊予掾宗次3
伊予掾宗次
伊予掾宗次

刀剣や刀の販売なら日本刀販売専門店つるぎの屋のTOPページに戻る