大慶直胤

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.A00221

(附)  黒石目地塗鞘半太刀大小拵

白鞘  金着一重ハバキ

     参 考 品

(大)  刃長 : 71.0cm  (2尺3寸4分) 反り : 1.5cm  (5分強)

元幅 : 3.15cm 先幅 : 2.2cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

(小)  刃長 : 53.4cm  (1尺7寸6分強) 反り : 0.6cm  (2分強)

元幅 : 3.0cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

登録証

千葉県教育委員会

昭和32年07月28日

: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)

時代 : 江戸時代後期 安政四年 1857年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成18年09月01日

(大) 荘司美濃介藤原直胤(花押) 八十翁

        安政二二年巳年二月日

(小) 美濃介藤原直胤(花押) 八十翁

        安政二二年巳年二月日

形状

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広め、重ね厚く、反り浅くつき、中鋒延びごころとなる。

小板目肌よくつみ、地沸つき、地景入り、淡く映り風たつ。

片落ち互の目乱れを主調に、互の目・角張る刃・尖り刃・小互の目・腰の開いたなど交じり、足長く入り、匂本位に小沸つき、細かに砂流しかかり、焼頭に小さな飛焼を少しく交え、匂口明るく冴える。

乱れ込み、小丸にやや倒れて返り、先掃きかける。

生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違に化粧つく、目釘孔一。

 

 

金具

 

目貫

黒石目地塗鞘半太刀大小拵 総長 : (大) 103.0cm (小) 77.5cm

霞に龍図、丸形、鉄地、金平象嵌色絵、無銘

(大) 高さ:7.6cm 幅:7.3cm 厚さ:0.5cm

(小) 高さ:7.2cm 幅:6.9cm 厚さ:0.45cm

(大) 白鮫着、黒糸柄巻。長さ:27.5cm (小) 白鮫着、紺糸柄巻。長さ:19.0cm

(大) 銀石目地、霞城下住秀利

(小) 素銅石目地、無銘

(大) 甲冑袖図、赤銅容彫、金色絵 (小) 紅葉に鹿図、赤銅容彫、金色絵

説明

 大慶直胤は、安永7年に出羽国山形に生まれ、本名を庄司(荘司)箕兵衛(美濃兵衛)と称し、大慶と号した。文政4年頃に筑前大掾を受領し、嘉永元年に上洛して美濃介に転じている。彼は若年の折に江戸に出て、水心子正秀の門に入り、後に師:正秀同様に秋元家に仕え、細川正義と共に水心子門下の双璧となった。水心子入門の時期については明らかではないが、彼が23歳の時の作刀に「庄司直胤 寛政十三年正月日」の銘のあることから、これより2、3年前の寛政11、12年頃と推察され、文化初年頃に独立したと考えられる。安政4年5月7日、79歳で歿している。

 50年以上の長い作刀期間があり、技量的にも師:正秀を凌駕し、師:正秀が晩年に唱えた復古論を実践し、世に広めたのは実際には直胤であるといわれている。現に、新々刀期の刀工で重要美術品を輩出したのは僅かに四工であり、山浦清麿:4振、大慶直胤:3振、左行秀:2振り、水心子正秀:1振のみとなっており、その技量の高さを物語っている。持ち前の器用さと鋭敏な感覚、長期の作刀期間、生涯で二度におよぶ材料の鉄研究等の旅に意欲的に出ている探求心などの為、作風は広範囲にわたり五ケ伝の山城伝・大和伝・相州伝・備前伝・美濃伝の全てに通じるのは、直胤の他にはあまり思い浮かばない。なかでも、備前伝・相州伝を最も得意としている。彼の作品は造込み・茎仕立て・刃文・彫物・銘文なども当時から洗煉されており如何にも洒落ているものが多い。

 本作は、身幅広めに重ねが厚く頑健な造り込みで健全な体配を示している。地鉄は精美にして映りが淡くたち、刃文は片落ち互の目を主調とし、3寸ほどの感覚で腰の開いた刃を交えており、応永備前を意識したものであろうか。銘文は「四」の字を「二」をふたつに分けて、刀は縦に、脇指は横に並べて銘しているのも直胤風で洒落ている。直胤は、安政4年に79歳で歿してるが、本作の銘文は、「安政4年2月日 80翁」であり、他に「安政3年8月日 80翁」「安政4年春 80翁」「安政4年正月日 81翁」など、実年齢より年齢を繰り上げて切ったものがある。これは直胤の「喜老癖」によるものであり、晩年の作にまま見受けられる。また、「藤原」の 「原」を省略して「藤」の一部に入れ「藤」と一字にしたものも同様である。銘文と製作年紀より正式大小であることは明かであり、製作当時の大小拵が附帯することも資料的に好ましい。大小縁には「隅切り角に角立て一つ目」の縄文が一つずつ目立たない様に入れられている。大小ながら、金具の色金を銀と素銅に分けて柄糸の色も変えて、洒落て仕上げている。総金具を製作した秀利は、大森栄秀の門人にて「林田英利」「霞城下住秀利」と銘する。霞城とは、水心子正秀や大慶直胤の出身地である出羽国山形の山形城の別名を意味する。

備考

新々刀 最上作。

 

古研ぎの為、全体に小さな薄錆・ヒケがみられます。部分的に小さな小傷があります。

大慶直胤1
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