固山宗次

特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon Paper

No.A00207

(附)  黒呂色塗鞘打刀拵

白鞘  銀無垢一重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 68.3cm  (2尺2寸6分弱) 反り : 2.4cm  (4分)

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.3cm 元重 : 0.7cm 先重 : 0.5cm

登録証

県教育委員会

平成09年02月12日

: 武蔵国 (東京都・埼玉県・神奈川-東部)

時代 : 江戸時代後期 慶応3年 1870年

鑑定書

(公)日本美術刀剣保存協会

特別保存刀剣鑑定書

平成09年10月02日

備前介藤原宗次 雁金土壇拂山田源蔵

慶応三年十一月日

形状

 

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差目立たず、重ね厚め、反り浅めにつき、中鋒延びごころとなる。

小板目肌よくつみ、地沸細かにつく。

丁子に拳形風の丁子・互の目丁子・角ばる刃・互の目など多種の刃が交じり、焼高く華やかに乱れ、足長く入り、匂勝ちに、微塵に小沸つき、処々細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るい。

乱れ込み先小丸に返る。

生ぶ、先刃上がり栗尻風、鑢目切、目釘孔一。

 

縁頭

 

目貫

黒呂色塗鞘打刀拵 総長 : 101.0cm

瓶割温公図、竪丸形、鉄地、透彫、高彫、象嵌色絵、無銘(宗典)

高さ:7.5cm 幅:7.2cm 厚さ:0.5cm

白鮫着、金茶糸蛇腹巻柄。長さ:23.0cm

雷紋に桐図、鉄地、金平象嵌無銘

高さ:3.8cm 幅:2.2cm

草花図、山金地容彫、色絵

説明

 固山宗次は、享和三年奥州白河に生まれ、俗名を宗兵衛(惣兵衛)といい、一専斎、精良斎、と号し、兄に宗平・宗俊がいる。宗次の師は加藤綱英と伝えられているが、その作風から勘案すれば、むしろ加藤綱俊の影響力が大きいものと思われる。初めは白河松平家の抱え工であったが、藩が勢州桑名移封後は、江戸に住して桑名藩工として作刀した。その居住地は麻布永坂という。弘化二年に備前介を受領している。宗次の作刀期間は文政の後半から明治初年の頃までにわたっており、その遺例も非常に多く、作風は備前伝が主であり、地鉄のよくつんだ綺麗な鍛えに、匂勝ちの丁子乱れを焼いて成功している。

 この刀は、小板目肌のよくつんだ鍛えに、地沸が細かにつき、刃文は丁子に拳形風の丁子・互の目丁子・角ばる刃・互の目等の多種の刃が交じり、焼高く華やかに乱れ、足長く入り、匂勝ちに微塵に小沸がつき、処々細かに金筋・砂流しがかかり、匂口が明るいなどの出来口をあらわしている。彼の作品の中でも慶応頃の年代によく見る拳形風の丁子が目立った作域で、藤代義雄先生はこの焼刃の形態を固山宗次の「大丁子」と称されている。加えて、銘文にある第八世山田浅右衛門吉豊(源蔵)の截断銘があることも好ましい。この頃の刀剣には、截断銘が比較的に多くみられ、総じて出来の良いものが多く、固山一門にも、七代吉利・八代吉豊らの截断銘がまま経眼される。

<山田浅右衛門吉豊について>

 

山田浅右衛門吉豊は第八世山田浅右衛門にして、七代吉利の長男として生まれ、初め源蔵、のち浅右衛門、明治になってから浅雄という。父に先立って、明治15年8月13日、42歳にて没す。

 

※ 山田浅右衛門について詳しくは 【山田浅右衛門一覧】 を参考ください。

備考

新々刀 上々作。

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