梶山靖徳

靖国刀匠 Yasukuni Sword Maker

No.A00194

白鞘  金着二重ハバキ

     売 約 済

刃長 : 67.9cm  (2尺2寸4分) 反り : 2.1cm  (7分)

元幅 : 2.9cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.7cm 先重 : 5.5cm

登録証

東京都教育委員会

昭和40年030月11日

: 東京都

時代 : 現代 昭和14年 1939年

鑑定書

 

靖徳(梶山靖徳)

昭和十四年九月吉日 為記念贈 井上侯爵 日本刀鍛錬会

形状

 

 

刃文

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、元先の幅差あり、反りつき、腰元に踏ん張りごころが感ぜられ、中鋒に結ぶ、優美な太刀姿となる。

小板目肌よく良く錬れてつみ、わずかに柾があらわれ、地沸細かによくつき、地景入り、精美な肌合いを呈す。

浅くのたれごころを帯びた中直刃を基調に、小互の目交じり、足入り、匂主調に、小沸細かにつき、ささやかな砂流しかかり、匂い口明るい。

直ぐに小丸に品よく返る。

生ぶ、雉子股形、先浅い栗尻、鑢目切、目釘孔一。

説明

 「靖国刀匠」とは、昭和8年7月に当時の陸軍大臣:荒木貞夫が有事に際した軍刀整備の為に組織した刀工集団 (財)日本刀鍛錬会に所属する刀匠たちの通称で、彼らが鍛えた刀剣は「靖国刀」と呼称され、その名は日本刀鍛錬会が靖国神社境内に置かれたことに由来している。創設には後に主事となった海軍大佐:倉田七郎らが尽力し、草創期の主任刀匠として宮口靖広、梶山靖徳、池田靖光などがいる。鍛錬会では、主として通常の軍刀の制作や陸海軍大学校の成績優秀な卒業生に贈られた御下賜刀(所謂恩賜の軍刀)などの制作を行っており、終戦により同会が解散するまでに約8100振の刀を制作したといわれている。現在でも鍛錬所の建物は靖国神社境内に残っているが、内部は改装されて茶室になっている。

 梶山靖徳は、本名を梶山徳太郎といい、明治14年2月16日に広島県仁方町に生まれる。横山祐義、父:友平に師事し、初め刀銘を父と同じく「氏正」と切り、「藤原氏正」「芸州住氏正」などと銘す。後上京して、昭和8年7月8日、日本刀鍛錬会に入会し、荒木貞夫陸軍大臣より刀匠銘「靖徳」を授名し、主任刀匠となる。昭和9年12年9日、昭和天皇の陸軍用軍刀を製作する栄誉を得る。同年9月13日、奈良武次陸軍大将(侍従武官長)より刀匠銘「武徳」を授名する。以来、日本刀鍛錬会において勤務鍛刀時には「靖徳」と銘じ、自宅の鍛刀場で造刀したものには「武徳」と銘す。昭和15年6月、退会し広島に帰郷以降、昭和18年11月20日より「大東亜正宗」もしくは「正宗」と銘す。昭和32年1月8日没。(財)日本刀鍛錬会での造刀数:約1250口。昭和17年4月10日、大日本刀匠協会主催・文部省後援 第7回日本刀展覧会文部大臣最高栄誉賞特選。鍛錬会開設時より主任刀匠として参加し、「靖国刀匠」の第一人者であり、宮口靖広、池田靖光とならぶの代表的刀工である。弟子に甥の小谷靖憲(憲三)、五男の梶山靖利(利通)、六男の梶山澄明、大崎繁春(靖宗)などがいる。

 本作は、優美な太刀姿を呈し、地鉄は小板目肌がよくつみ、地沸が細かについた精美な肌合いとなる。刃文は、直刃を基調に小互の目が交じり、小足入り、小沸つき、刃中が細かに働いた長船真長を想わせる静謐な作風となる。

 銘文によれば昭和14年、日本刀鍛錬会より当時の陸軍少将であった井上三郎侯爵に記念として贈呈された一振りという。記念刀ということもあり、日本刀鍛錬会の第一人者である梶山靖徳が自ら鍛えており、流石に抜群の出来映えを示している。

<井上三郎について>

 

井上 三郎(いのうえ さぶろう、明治20年(1887年)2月6日 - 昭和34年(1959年)6月4日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍少将。貴族院議員。侯爵。桂太郎(内閣総理大臣、陸軍大将、公爵)の子供(3男)。井上馨は叔父。井上光貞は子。

備考

靖国刀匠

梶山靖徳1
梶山靖徳2
梶山靖徳3
梶山靖徳4

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