備中大掾正永 肥前正広三代

第21回重要刀剣 NBTHK Jyuyo Paper No.21

No.A00053

白鞘  金着一重ハバキ

肥前刀思考 日本刀随感 所載

      参 考 品

刃長 : 72.5cm  (2尺3寸9分) 反り : 1.5cm  (5分半)

元幅 : 3.1cm 先幅 : 2.1cm 元重 : 0.75cm 先重 : 0.55cm

登録証

石川県教育委員会

昭和32年06月29日

: 肥前国 (佐賀県・長崎県)

時代 : 江戸時代中期 貞享頃 1684-1687年頃

鑑定書

(財)日本美術刀剣保存協会

重要刀剣指定書

昭和48年03月01日

肥前国住備中大掾藤原正永

形状

刃文

 

 

帽子

鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差ややつき、重ね厚く、反り浅くつき、中鋒延びる。

小板目肌つみ、精美にして、地沸微塵に厚く敷き、地景細かによく入る。

元に短く直ぐの焼出しごころがあり、その上は丁子乱れを主調に、頭の丸い互の目・互の目など交じり、焼高く華やかに乱れ、足・葉よく入り、匂深く、小沸厚くつき、総体に砂流しかかり、金筋長く入る、

直ぐに調に品よく小丸に返り、先掃きかける。

生ぶ、先入山、鑢目大筋違、目釘孔一。

説明

備中大掾正永は、二代:河内守正広の長男として生まれ、通称を伝兵衛という。肥前正広家三代目を継いでいるが、他の各代と違い終生「正永」を称したようである。二代:正広も初銘を「正永」と称し、五代も同様である。寛文5年、初代:河内大掾正広が没したため、二代:正広が上洛し、「武蔵守」から「河内守」に転じ、名を「正永」から「正広」に改めた。正永も父と共に上洛し「備中大掾」に任じられた。元禄12年、二代:正広が没し、肥前正広家三代目を家督相続する。それに伴い「河内守」に転任し、「正広」を襲名する必要があったため、元禄14年に受領願いを佐賀藩庁に提出するが、その許否は明らかとならぬうち、3年後の宝永元年に六十歳で没している。正永の自身銘の作品は決して多くなく、それはその殆どを二代:正広の代作代銘に従事したためと思量される。実際に彼が肥前正広家の当主として在任したのは僅かに5年のみであった。正永の作風は、初・二代:正広と同じく迫力ある互の目乱れをもっとも得意とし、また、直刃も見られるがいずれも上手である。

この刀は、小板目つみ、地沸微塵に厚く敷き、地景細かによく入った鍛えに、丁子乱れを主調に、頭の丸い互の目・互の目など交じり、鎬筋にかかるほどに焼高く華やかに乱れ、足・葉よく入り、匂深く、小沸厚くつき、金筋・砂流し等がかかるなどの優れた出来口をみせている。頭の丸い互の目が交じる乱れ刃は、正広系の特色であり、正永もそれをよく踏襲している。初・二代:正広の作を彷彿させ、豪壮な姿と相まって常よりも覇気が感じられる。正永の重要刀剣指定品は本作のみにして、まさに同作中の最高傑作であり、その白眉といって過言ではない。

備考

新刀 中上作。

業物。

備中大掾正永 肥前正広三代1
備中大掾正永 肥前正広三代2
備中大掾正永 肥前正広三代3
備中大掾正永 肥前正広三代4