冥賀(みょうが) 茨城県久慈郡大子町冥賀

 -いまも「冥加」を感じさせる山あいの生活-

 

 江戸時代は水戸藩領の「冥加村(みょうがむら)」であったが、明治22年(1899)からは宮川村、昭和30年(1955)からは大子町のそれぞれ大字「冥賀」になっている。「新編常陸国誌」によれば、古くは「葛洞村(くずどうむら)」と称した。それがなぜ現在の「冥賀」に続く「冥加」に改めたのか。江戸時代後期の水戸藩領の地理誌「水府志料」に明快な答えが誌されている。当地は大変な荒れ地で、課せられるべき税の多くが免除されたため、村人たちはそれを冥加-神仏の加護ともいえる恩恵と感謝し、冥加村と称したという。

 地図を見ると、久慈川支流の玉川と前冥賀川に沿って低地が細長く形成されているほかは、大部分が山林という地域である。耕作に適しないとされた土地における人々の現在の暮らしはどうなっているのだろうか。水戸方面から国道118号を進んで川山の信号を左折するとすぐ右手に、見落としそうな細い道が延びている。これが冥賀の集落への入り口である。道は玉川の小さな流れに沿って細長く続き、奥深い。その道沿いに人家と水田が点在する。水田はわずかだが奥地まであり、どこもよく耕作されていて休耕田は見あたらない。道沿いに仏堂や花壇が設けられているところがある。古い石仏、石塔も見られる。「冥賀ともしびの会」が地内の自然や歴史の見所案内を各所に出している。観光客を多数呼べるような名所でなくても、住民たちが誇りにしている様子がうかがえる。日月神社の付近に少し大きな集落があり、現代風の住宅建築も見られる。奥深い山あいの土地だが、車の通行できる道は通じており、当地の人々の控えめながらもきびきびとした生活、そんな暮らしぶりを垣間見ることができよう。

 

常陽藝文2012年12月号(第355号)特集/茨城の地名〜めずらしい地名編(下)より

 

 

 

 

 

 

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